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連鎖の重み

父と私はよく似ている。
顔も似ているが性格も似ていることに気が付いた。

父は本当に自由に生きてきた。
家族に本気で向き合うでもなく
若い時はギャンブル依存症のように雀荘にパチンコ店にと入り浸った。
まぁ、そんな時代だったかもしれない。

父は定年まで単身赴任で私は日曜日しか会わなかったから、しかも日曜は習い事の送迎の後はパチンコに行ってしまったし行かなければ寝ていたから父のことはほとんど知らなかった。
でも大好きで自慢の父だった。

定年退職して家にいるようになってからは父は家事全般をこなした。家の修理も表具の張替えも。
そして毎日10キロを歩くスーパーじーちゃんだった。
毎日毎日。
父を偉いと思った。

同時に私が悩んだり苦しんだりすることには非常に冷たくて
「そんなことならやめちまえ!」
「明るくいてくれればそれでいい」
「まぁ、上手くやってよ」

と突っぱねた。
育児ノイローゼになり父は黙って手伝いに来てくれた。
ありがたかったがあまりのきちんとし過ぎる性格と管理しすぎる性格に辟易とし1年で帰ってもらった。

仕事は何時に終わったら家に何時にいて当たり前だ
仕事が終わったならすぐにご飯を作れ、それでも母親か
ご飯は毎回炊きたてにしろ
食べたらすぐに片付けろ
だらしない、寝てばかりいるな
8時には寝ろ!(6時半に仕事が終わる)

鬱になってしまった当時の自分には辛すぎた。
父は発達障害のパンフレッド見て自分もこれかもしれないと呟いた。

父は自分で言っていた。

「大きな買い物をすることに罪悪感がある。買った後に買わなければよかったやっぱり返そうかと悩む」

と。今父は自分で選択をしなければならなくなった。

手術をするのかそのまま付き合うのか。
父は決められない。
そしてそのことが自分で寿命を縮めているように思える。どちらにするか決められないことで悩み苦しみ心理的発作を起こし弱っていく。

もう1日の大半をベッドにいて夕方になると心理発作を起こしているのにまだ手術をしようか迷っている。
そのために食欲もなくなり痩せて。

父はたぶん手術をしても術後の痛みなどにこんなに痛いならしなければ良かったとどっちにしろ弱っていくのかなと思う。
手術をまたすると決めてもまた迷いドタキャンを繰り返すのかもしれない。
黙りこくって怒ってばかりいる父

自分によく似ている。

「そんなことならやめちまえ!」
「明るくいてくれればそれでいい」
「まぁ、上手くやってよ」
そんなふうに言ってしまいそうな自分。

父は鬱なのだと思う。
だから心療内科にも予約を入れた。

私も躁鬱を持っている。
鬱の時は自分がとても辛い。
でも周りにも嫌な思いをさせているんだなと最近の父を見ていて思う。

親ガチャなどという言葉は大嫌いだが遺伝や連鎖の重みは嫌と言うほど感じる。
そういう気質で生まれてくる辛さは大いにある。

だからこそ抗ってみようと思う。

昔依存のセミナーに出た時言われた

「連鎖を断ち切ることは難しい。自分のところで少しでも薄められるように」

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