『叶わなかった』を『やり切った』に変換する
皆様こんにちは。彰子(しょうし)です。
今日の東京は蒸し暑く、雲の合間から太陽が出たり入ったりしており、
久しぶりに真夏日になりそうです。
今日は私の叶わなかった想いについてお話したいと思います。
私は今の医療職の資格を取るために勉強していたころから、
私にしかできない研究を行い、【新たな基準値を設定すること】を目標としていました。
そのため、就職活動でも研究に力を入れている職場を中心に探し、就職しました。
しかし、そういった職場に就職できても、やはりまず新人が行うべきは、日常業務。
でも、私はそれだけでは自分の中に湧き上がる意欲が不完全燃焼で、沸々と溜まっていくのを感じていました。
その後、運よく臨床研究を行うプロジェクトに参加することができたため、
昼夜を問わず、休日も返上して、
患者さんのデータ集めと解析に没頭していました。
当時の私の部署では、私のようなコメディカルスタッフ(医師以外の医療職)がメインで研究をすることは少なく、
医師の指導の下で行っていました。
そのため、当時も私がとデータ集めとExcelでの管理を行い、医師と相談して解析しており、
お陰様で、毎年1~2回、学会発表させていただけました。
しかし、どうしてもそこは指導者の医師の意欲に左右されてしまうのが、コメディカルの立場の弱いところ。
終着点が見えないと判断されたのか、私の研究は中断となってしまいました。
しかし、せっかく集めたデータは、貴重な財産。
どうにか活かせないかと模索していたところ、他の医師が救済してくださり、
別の研究に繋げることができましたが、やはり、新たな基準値を設定するには至りませんでした。
私が学生時代から掲げていた目標。
それは、結局、叶いませんでした。
この先も同じように研究の道を模索することはできるのかもしれませんが、
私はむしろ、ここまで力を注いだという達成感があり、
『叶わなかったけれど、納得がいくまでやり切った』という思いに到達しました。
≪私の進むべき道、力を注ぐべき道は、他にある。≫
それに気が付かせてくれた、大事なステップだったと思っています。
しかし、苦しい状況の中でも、沢山の恵みをいただきました。
学会では同じような研究をされている大先輩とお話させていただいたり、
その方が講演で話された資料を「何かの役に立つなら」と無償で頂戴したり、
さらにそのご縁から、講習会での講師を務めさせていただいたり。
(この分野では、30歳そこそこの若造が講師を務めるのはだいぶ珍しい・・)
学会では、他病院の大先輩から「その後研究どう?」と心配や労いの言葉をかけていただくこともあり、
右も左もわからず、一人、意欲だけで進んでいた当時の自分にとっては、
本当に有難いものでした。
損得勘定抜きに、周りの方々から沢山の優しさを頂戴しました。
がむしゃらにやっても、目に見える結果を出すことはできませんでしたが、
沢山の恵みを頂いたことを認識し、感謝し、
『納得がいくまでやり切った』という想いに変換することで、昇華することができました。
結果ではなく、そのプロセスに意味があるということ体感した出来事でした。
現在は、その達成感を「新しい仕事に向けて学ぶエネルギー」に変換できています。
辛さも必ず糧になる。
空を見上げながらそう想った朝でした。
皆様の中にも、当時の私と同じような思いを持っている方がいらしたら、
『叶わなかった』を『やり切った』に変換し、
新たな方向に向かうことができますように。
彰子(しょうし)