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往復書簡 復路の3 みる、とか、みられる、とか


往復書簡往路の3をいただいてから、実に数ヶ月経っている。
コロナの前の世界ではこんなに時間をかけないとやり取りができない場所など、もはや地球に存在しないんじゃないか、という錯覚さえあった。(実際にはそういう場所は無数にあるにもかかわらず)

復路のお相手、マサコさんに「ゆっくりですみません」と送ったら「旅に出ればいろんなことがありますよね。今度の書簡は船で旅をしているのかも。」と、とても温かで風流なお返事をいただき、船の甲板でパタパタと風に吹かれて旅情を楽しむ書簡くんを想像する。

メッセージなら3秒という世の中で、半年近くも彷徨っている復路の3。
この書簡は文字通り、この期間、私と一緒に旅をしています。
頭や身体の細胞の中にずっと身を隠していて、
誰かの話を聞いたとき、何かを読んだとき、ひょこっと顔を出す。

あ、これ・・、往復書簡の・・。
とそのとき浮かぶんだけれど、そのときだけでは言葉にならず、
一瞬の星のきらめきのように、キラッと光って、また隠れる。

その時には儚く消えた“それ“が、あるとき別の何かに出会って、スパークする。その火花たちがつながって、細く煌めく流れがあらわれる。

往路の3はそんなふうに、夏を越え、秋を経て、今ここにいます。

ゴザと縁台

夏のある日、アフリカの街から遠い村で、インターネットもほとんど使わない暮らしをする方とお話しした。その地域ではおじさんたちがゴザの上で日々の情報交換をするという。
知らずに見ると「ただ座って日がな一日そこにいるだけ」に見えるそのゴザの上で、実はその地の暮らしに必要な、多岐にわたる情報が自然に共有されている。話を聞いただけなのに、その様子がとても容易に想像できる。

国民の数の倍のSIMカードが発行されていて、地方の子どもたちにもYouTubeでBaby Sharkのメロディーが染み渡っているカンボジアにも、ゴザコミュニケーションと同じく、縁台コミュニケーションがある。

村の中を歩いていると、木陰や高床の床下、あちこちの涼しげなところに縁台が置かれ、ハンモックが吊るされ、ご近所の人々がなんとなく話している。
ずっといる人もいれば、ふと通りかかってちょっといて、再びどこかへ行く人もいる。明確な開始と終了はない、出入り自由の場。

すっかり都会様式に変化した首都の暮らしでも、縁台を街角の朝食ヌードル屋やハイソおしゃれカフェなど、それぞれの所得と生活様式に合わせた姿に変えて、このコミュニケーションはしっかりと存続している。

アフリカの村に暮らすこの方との対話はとても面白く、尽きなかった。
アフリカとアジア、違う大陸の違う村に身を置きながら、そこで目にしている人々の振る舞いや、姿勢、背中や目線に共通する何かがあった。
土地や風土、文化を超えて、“人がこの大地の上で生きるために生み出してきた営み“に関係するなにか、だと思うのだけれど、まだうまく言葉にならない。

みる、と、みられている

そのときに、彼が話してくれたことのひとつにこんな話があった。
その地域で、子どもたちが社会の一員として認められる頃合になると、周囲の大人が自然と「その子がどんなことに向いていそうか」を見出していくという。

この子はこんな性質だから、これに向いているかも。
誰々と一緒に、こういうことをやらせてみよう。
この子はどうやら学ぶことが好きなようだから、勉強したらいい。

彼の話ぶりから伝わってきたのは、その一言がその子の人生を決めてしまうというような冷たい枷ではなく、仕事や役割の入り口へと誘う背中のような印象だ。
(実際にはいろいろあるのかもしれないけれど)

この話を聞いてしばらく経った、秋のはじめ。
スタッフの甥が仕事場に遊びにきた。12歳。くりっとした目に、いたずらっぽい笑顔。目端が効き、叔母にあたるスタッフの周りで、彼女の赤ちゃんをあやす傍ら、他のスタッフについて行き、ちょこまかと覗いたり、手伝ったりしている。
全身から好奇心が溢れていて、簡単な手伝いをする足取りが軽い。
清掃スタッフと共に天日でよく乾いたタオルの山を抱えて向こうから来る彼に、
すれ違いざま「楽しい?」と聞くと、
「たのし〜〜〜い!」と叫びながら、リネン室へと小走りにかけ去っていった。

その様子を隣で見ていた叔母である20代のスタッフが私にいった。
「あの子は家にいるときずっと何かつくってるんです。椰子の枝で車を作ったり、適当に集めた紐を編んでハンモックを吊したり、壊れたものを直したり。」

「へえ、手を動かすの好きなんだね。」

「そうなんです・・なんていうか、クリエイティブ。勉強は好きじゃないみたいで、おばあちゃんに勉強しなさい!ってよく怒られてるけど。私は、できれば、この子のそういうところを伸ばしたいと思う。」

遠くの方から青いサッカーユニフォームの小さな影が駆け戻ってくるのを見つめるスタッフの柔らかな横顔を見ながら、こういうことが言えるのは「この子」に関するたくさんの場面をみているからだよなぁ、と思う。
生活の中のいろんな「この子」の姿や表情や振る舞いを目の片隅で捉えている。
このスタッフも、きっと、アフリカの太陽のしたで、ゴザに集う大人たちも。

青いユニフォームのくりっと少年がこれからどんな道へ向かうかはわからない。
でも、この2つの物語の中にあるものは、私がかつて学生だったとき(そしておそらく今も)にあたりまえとされていた「自分の好きなこと、向いていることを見つけ、それに合った居場所を選び、そこにアプライして、獲得していく」という動きとは随分と違う。

彼らが意識をするずっと前から、彼らは“そこはかとなく“、みられている。
その子の日々の様子、顔のかがやき、集中の度合い、空気感。
そして、彼らが気がつくずっと前から“なんとなく“気がついている。
その子の魂や輝きが、どこに向かっているのかを。

向いている、と、向いていない

「向いていることが、わからないんです」

年に何度か、こういう一言に出会う。
このときにこそ、上の2つの物語の話を届けたい、と思う。

背中を丸めて、申し訳なさそうにいうその姿には、見つからない状況、見つけられない自分へのかなしさが漂っているから。
きっと自己分析の本を読んだり、考えたり色々したんだろうな。
でもね、おそらく、人類のここまで歩んできた道をみるに、それを1人で見つけられるようには、設計されていないんだと思うよ。

1人で見つからなくて困ったら、悲しくなる前に、人の中に入ってみたら。
近しい人の誰かに「どんなことが向いていると思う?」って聞いてみたら。
「向いている・・うーん」ってなったら、
「なんか、こういうとこあるよねっていうのの、ポジティブなやつ、教えて」
って聞いてもいい。

「ああ、それで言ったら、けっこう面倒見いいよね」とか
「ああ、ふっとした一言がなんか、おもしろいよね」とか
「ああ、意外にいつも最後まで居てくれるよね」とか
「ああ、ワリカンの計算、毎回ありがとう」とか

そういうヒントとか、手がかりのたねが、絶対出てくる。
それをちょっとずつちょっとずつ、一緒に手繰っていけるはず。

向いていることとかやりたいことのタネは、遠い未来のどこかではなく、日常のふとした瞬間に宿っているんだよ、本当は。

みているか、と、みることができるのか

果たして私たちは、どのくらい周りの誰かを「みて」いるだろうか。

評価する、というのとは違う、もっと多軸な「みる」
感覚的で、連続的で、全体性のある「みる」

若者の方の「見つけられない」というお悩みは、転じて、同じ社会にいる彼らより先を歩む私たちへの「みることができているか」という問いでもある。

村では「みる」ことに長けた人たちによく出会う。

木の上のココナッツが飲み頃かどうか。
田植えまで、あと何日か。
今日の牛の状態はどんなか。

こういう明確な基準のない、簡単に答えてくれない対象を「みる」人たち。
いつも彼と我の間に、及ばない、埋まらない距離を感じ、途方もなく憧れる。
その背中に追いつきたい。いつかその人たちの境地からこの世界をみてみたい。


現代社会の一問一答に慣れてしまった私は「みる」をもう忘れている。

地をみて、天をみて、人をみる。その間にある、すべてを、自分でみる。
そういう「みる」を、忘れている。
だから、それを呼吸するようにやっている人たちに強く惹かれるのだと思う。

田植えの前、土をみるとき、お父さんの肌は同時に空気の湿りを感じている。
そこに吹く風、トンボが飛ぶ高さ、今年の雨の降り方、土の湿り、硬さ。
そういうひとつひとつの小さな手がかりたちが折り重なって、縒り合わさって、
「そろそろだ」につながっていく。

カンボジアの村にもアフリカの大地にも、こういうふうに世界をみる人がいる。
日本にも、ちゃんといる。まだまだ、たくさん。

数年前、日本のある港で、地元で信頼される魚の目利きの方とご一緒したとき、
やはりこちらの世界からきた私たちは聞いた。

「いい魚は、どうやって見分けるんですか?」と。

その問いへの返答は、とっても捉えどころがなかった。
「まあ、色とか、こう、目のとこのツヤとか。その日の天気も・・・」

その問いを発した後に気が付いた。
ああ、ここでも同じだ。そうだった。
こうだから、こう、こうだったら、こう。ではないんだった。
もっとたくさんの粒子がぐるぐる回って融合していくように、すべてをみているんだった、この人たちは、と。

「機械がない時代にどうやってやったんでしょうね」
古代の測量技術とか、建築技術、航海術、どこまでも続く水田などに出会ったとき、つい口をついて出てくるこの言葉。
でも、たぶんその人たちは、それがないことを補ってあまりある「みる力」を持っていた。その力をきちんと使って、目の前の世界と向き合っていた。

もちろん飛行機で海外には行ってないし、宇宙の探査もしていない。
デバイスを使ってオンラインでミーティングもしていない。
できてないことは、いっぱいある。

だけど、歩いて驚くほど遠くまで旅をしていた。
遠い空にある星たちの動きに、法則と物語を見出していた。

機械がなければできない、と思ってしまうのはきっとごく最近。
ここ100年くらいで生まれた、とらわれ。
できないこともたくさんあるけど、できてたことも、きっともっとある。
この世界には、まだ、その世界を生きる人たちがいる。

誰かの内側にある輝きも、
自分の内側にある何かも、
機械がなくてもきっと見える。きっと見つけられる。
みる力と、みてもらう力を、少しだけ、それぞれがリハビリしていけば。

古代と現代のどちらが良いか、
見つけるのと見出してもらうのはどちらが正しいか、ではなくて、
忘れてしまったり、見落としてしまっていることの中に、実はその先へ進む道が隠れているのではないか、という話。
生きていくこの世界が、ちょっとだけやわらかく、あたたかくなるように。

取り留めもないけれど、ここで復路の3は終わり。
次の書簡へと、バトンを渡します。

2021.1107 未明
冬の気配が漂う東京@一時帰国中。寒い・・。

追伸:
最初に復路の3を書いたときにうまく言葉にならなかったことが、ふと形を成したので。

マサコさんから届いた往路の3にあった「書かれている」ということについて。

パウロ=コエーリョの著書「アルケミスト」にも出てくる、この「書かれている」を語るほど、まだ私には器がないですが「みる」についてをかくうちに、ひとつ浮かんだことがあります。

きっと「書かれている」ことを信じられる人が多かったんだろうな。

信じられるというより、受けいれられると言ったほうが良いか。

それは私が選んだのではない、とバタつかずに、「書かれている」ということを、自分の総身でぐっと引き受けられる人たちが、かつての世界には自然にたくさんいたんだろうなぁ。

この世界を「みる」人たちがいたように。

この書簡は、ルワンダに暮らす加藤雅子さんと、カンボジアに住まう吉川舞の個人的なやりとりです。相手に向かって投げているようで、別の誰かに向かって届けているようでもあるこの書簡から、一体何が生まれるか、(はたまた何も生まれないのか)実験中です。


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