私の20年間の9月11日という1日
アメリカのテロが起こってから20年という月日が経った。
20年前のあの日、私は高校2年生で、埼玉の中でもドが付くほどの田舎で暮らしていた。
夜になると家の周りは真っ暗で街灯がなかった。嫌いだった。明るい街が好きで、ニューヨークはアメリカの中でも憧れだった。
幼稚園の頃から好きな映画は
"トップガン"
という程にアメリカかぶれ🇺🇸だった私。
そんなアメリカに行く事が夢だった私は…あのニュースを見てから、何とも言えない、色なら濃いグレー色に景色が見えた。
いつか"アメリカ"に行きたい。
そんな国ジェンダーな私が当時ハマっていたドラマ
"ロズウェル"
(名前の通りだけど、宇宙人のドラマ😂)
金曜か土曜日の夜中にNHKでやっていたアメリカドラマ🇺🇸。
多分誰も知らない。
それを見るのが高校時代の楽しみだった。
しかも、唯一の。
(シングルマザーの母と2歳下の弟がいた為、高校生の私も学校に通いながらアルバイトをして生活を支えていた程に裕福ではなかったから。これについては根深い話しになるので、機会があったら書くかも?くらいの触れたくない部分😂)
そんなアメリカかぶれ、、、むしろ、アメリカ狂いの私が見た9.11のニュースは刺激が強く、当時から人よりも感受性が高かった私は、夢で何度も飛行機事故の夢を見て飛び起きた。
それでも、アメリカかぶれ🇺🇸はアメリカが大好きで27歳の時に初めてのニューヨークに降り立つ。
初めて来たハズなのに、知ってる場所、自分が住むべき場所だと確信(どっから来た自信?😂)
したが、ビザの事なんて全く知らないから普通に3ヶ月の期限が来て、お金も使い果たし、あっさり帰国😂🗽
"あの国はお金を稼いでいかないと何も出来ない‼️"
"やってやる‼️"
と帰国後に不動産会社の営業マンになり、ニューヨーク🗽に行く為にお金を稼ぐのだから…今の私はニューヨークのお陰。
そんな初めてのニューヨーク🗽で、9.11の場所へ行ってみた。
やっぱり、景色がグレー色に見えた気がした。
1番覚えている場所は近くにあった教会。
その教会は、救助を行った消防士さん達が寝泊まりしていた場所。教会の中にはたくさんのベッド、その上にはたくさんのテディべアが置かれていて、どれ程不安な夜を過ごしていたのかが伝わってきて、涙が溢れたのを覚えている。
"もしもの時、自分には何が出来るだろうか?"
教会からの帰り道、ずっと考えていた。
"多分、何も…出来ない"
多分…。
今でもその答えは出せない。
9月11日が来る度に思い出している。
私の娘達はニューヨークで産んだからアメリカ国籍を持っている。
そして、私達夫婦も運が良いのかロッタリー(アメリカの永住権が当たる宝くじ。この奇跡についてはまた別の機会に🗽)が当たり、いずれアメリカに永住する。
サラッと書いたけど、私には凄い事で…
この時は大げさに言うと…
"神様って本当にいる‼️"
って人生で思った1回目😂(人生2回あった内の1回目だから貴重😂)
そして、娘達が分かる様になったら、必ず、9.11の場所に連れて行って、私が感じた事の全てを隠さずに話そうと決めている。
こんな美しく、活気にあふれているニューヨークにもこんな辛い、大変な歴史があったんだって教えようと思う。
そして、私同様に娘達にもニューヨーク🗽が大好きになって欲しいと願っている。
その後、、、ニューヨークへの思いが強すぎて…仕事にしてしまった😂
ニューヨーク🗽が好き過ぎて始めた、ニューヨークの良さを紹介する事業。
"NY Mine"
"私のニューヨーク"
"ニューヨークの金鉱"
2つの意味を持つ、美しすぎる私が考えた名前😂
是非、フォローしてください。