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正義の広さ

小学四年生になって歴史の勉強が始まった時、イクサとかのシーンでふと親に「で、結局どっちがいいもんで、どっちがわるもんなの?」と聞いた私も、どうも年を食ったせいか、こんなことを考えるように最近よくなります。

正義の狭い人。
推進力と決定力があって、がんがん決めるし、進める。カリスマもある人が多いですね。強い人が多い気がする。こういう人が頼もしい。
でも、「自分と違う正義」が世の中には存在する、っていう事実が見えなくなる時がある。切っちゃう。物事を反対側から見るのが苦手だったりする。だから、その人の正義の外側に出ちゃうと、なかなかうまくコミュニケーションさせてくれなかったりする。柔らかさはあんまりないかな。

正義の広い人。
優しい人が多いですね。人から「この人なら話を聞いてくれるはずだ」と思ってもらえるというか。分かりやすいリスペクトはされないかもしれないけど、なぜか人が周りに集まっているような、そんな人。
でも、優柔不断で、理想論者が多いかもねー。それっぽいことを言ってるだけで、甘いというか。決められない。聞きすぎちゃうんだと思う、周りの声を。

自分は、後者に近いと思うのです。が、世の中ごくまれに「正義は広いまま、それでも進めるチカラのある人」がいて。なんというか、なあなあと広いのではなくて、明確に意思をもって広い、というか。正義を広く持てている人にしか見いだせない、進むチカラがあると最近は思っています。

なので、のらりくらりなあなあと引き続きやっていこうかなと、なんのことだかわからない方も大勢かと思いますが笑、思いましたっていうメモ。

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