お守り

奇抜も寝かせりゃ伝統になる

通例とか、「一般的には」っていう前置きとか、そういうのってめんどくさいなって思うことが多い今日この頃。

どんなに伝統を守ろうっていう気風が強いジャンルの物事でも、それ時代かつての「奇抜」だったりするわけでさ。神社に行けば「交通安全のお守り」が売っているわけです。クルマが走り出したのは、宗教の歴史からすればごくごく最近だというのにね。

要するに、前例があるかどうかとか、奇抜かどうかとか、そういうことではなくて、不易流行、普遍的な価値の本質がどこにあるのかをつかんだうえで、奇抜に見えることをやっていくってことなのでしょうね。まあ、そんなこと気にしてやってたらそれはそれで本当に新しいことを発想するのは難しいんだろうけど。大事なのはやっぱり、人間理解の程でしょうね。

なんて、クルマにめったに乗らない私が、交通安全のお守りを道端で拾って思ったことメモ。

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