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定説より、実感を大切にしたい。

大学時代に生協で作った学校仕様のクレジットカードを、財テク的見直しなどしないタチもあって義理堅くいまだに使っているんですが、唯一の恩恵といえるんじゃないかっていう母校の図書館で久々に作業してたんですが、すげー静かですげーはかどったわけです。ふと、「ああああめっちゃはかどるわあああああ」って実感がこみあげてきて、3時間でnoteの記事5本書き上げたという鬼効率。気候も良かったし、ぎっくり首で姿勢保つのはつらかったけど、こういう、なんだかわからないくらいコンディションがよくてはかどる日が、年に3日くらいある気がする。

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で、よく考えてみて気づいたんだけどなんのことはなくて、「静かなら静かなほど、自分は集中できる」っていうことだったんです。なんでそんなことに気づかなかったのかっていえば、なんとなくの定説として頭にインプットされていた、『人間、多少ざわざわ周りがうるさいほうがかえって集中できる』っていう知識が横たわっていたからだと思ったわけです。それが横たわっているせいで、なんとなく自分の実感に補正がかかって、世の中の定説にアジャストさせてしまっていたんだなあと。そういうのってほかにもたくさんあると思うんですよね。「朝型生活のほうが生産性あがる」とか、「スマホいじりすぎると集中力あがらない」とか、「米食うな」とかもそうかもねw なんとなく科学的根拠があるのはそうなのかもしれませんが、結局は個々の人にあてはまるのかは別の話。喫煙者と禁煙者で、前者のほうが好きなことを我慢せずにやり続けているからボケる確率が低かったなんていう研究もあったっけ。定説なんて「世の中どうしても右利き用に作るしかない」中で、「たまたま自分は左利きでした」みたいなことくらい、よくあることなんじゃないかとすら思います。

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途中までおいしいと思っていたのに「今食べログみたら、2.1だわ」と言われたせいでなんだかおいしくないような気がしてくるような、実感を評判が凌駕してしまうことって、まああるんですよね。凌駕というか、「評判という実感」が別チャンネルとしてある、みたいな感覚。だからこそこのノイジーな世の中において、「周りの定説はさておき、自分は実際、どうなんですかい??」っていう、直感とか体感に耳を澄ますには、結構日ごろから正直にいったん自分の感想を持つようにすることなんじゃないかなと。この「実感と評判の逆転現象」って、いろいろなところで人を苦しめているように思ったわけです。

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久々に、都内にはなかなかない、相当に静かな空間という、ギャップがある体験が気づけたもう一つの理由かもしれない。適度に自分のバイアスをぶっ壊すような、非連続な体験を自分に与えていきたいと思った、定説への抗い方についてのメモでした。

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