あるよ

「ともだ知」が最強

顔が見える情報を信頼する時代。誰が言ってるか、がとても大事にされる感じがします。いろいろ嘘やデマやねつ造、ステマやまとめ記事問題を経て、「顔の見える情報」の価値が見直されているような気もする。

一部の専門家しかメディアを持っていなくて、発信できなかった時代は「専門知」の時代。確かに正しいかもしれないけど、余白とか右脳とか感情が入りづらくて、「ななめうえ」が出にくかったんじゃないかなと。でもそれが、インターネットで双方向になって、ぐちゃぐちゃにいろんな人の意見がごった煮になって、それが整理できるようになって、「集合知」と言われるようになった。ランキング的な知。でもそういう”みんなの正解”が必ずしも、自分の好みと合致するかわからないじゃん。しかも、嘘あったっぽいし。そんな流れ。

どうせなにか、自分があまり詳しくないものにトライするのなら、失敗確率は実は変わらないんじゃないかと思って。結局、どの情報をどの程度自分で信じるかは、その人本人にゆだねられちゃうわけで。本屋の食事のコーナーに行って「〇〇は食べるな!」と「〇〇健康法!」という本のタイトルの並びを見るとそう思います。結局どーせーっちゅうねんと。

どのみちあんまり変わらない。であれば、
「参考にして終わっちゃう集合知」よりも
「参考にすることからコミュニケーションが広がる”ともだ知”」のほうが
お得じゃん、ってことですよね。

ともだ知なら、「アレ読みました!」とか「今度イベント伺います!」とか「え、あそこ行きたいなら一緒に行こうよ!」とか、繋がるわけで。その情報が正しいかどうかよりも、「その情報を活かすことが次の何につながるか」を見たほうがいいかもしれない。案外その視点、ある人とない人の差が多い気がします。

結局は、コミュニケーションがしたいんだなと。それって「ネット世代のニュータイプな行動や!」って思うかもしれないけど、ヒトの根源的な欲だと思うし。狩猟時代から特に女性は、岩穴で狩りの帰りを待つ間、手仕事しながらずっとおしゃべりしてうまくコミュニティを円滑に営まなきゃいけなかったわけだし。つながりが、自分がそこにいていいという肯定感につながるのは、普遍的なことなのだと改めて思うわけです。

ともだ知を改めて大事に、自分も誰かの役に立つともだ知でありたいと思う今日この頃。

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