見出し画像

人のためって何?

今朝、昨日の日記をもう一度読み直してみたら、いろいろな事を感じた。
わたしは周りの人の期待に応えるために生まれてきた訳じゃないし、ましてそのために生きるというのも違うと思う。しかし、生まれたときに親の保護なしでは生きられないために、親に見放されないために期待に応えようとする。そして、人の事を考えて行動するとか、人の事を思って行動するとか、
人のために何かをする、とか、そういう風に教えられて育つ。

それが悪いわけではない。人の事は考えた方がいいし、人への思いやりも大切だし、人のために何かを出来る人はステキだと思う。人との関係性の中で、社会の中で生きる限り、それはとても大切な事だと思う。
でも、それを教えるなら、もっと教育の中で、チャネリングとかリーディングとか教えたらいいねん、と思ったりする。
人の事を考えるとかその人のためを思うという時のそのことすらが、自分、という世界の中での想像でしかなく自分の価値観に基づいているということを誰も教えてくれない。その事が多くの人を混乱させ傷つける原因なのだと思う。
~しなければならない、という思いで動くのは、わたしの感覚では自由ではないなと思う。~したい、と思い、その気持ちで動く時自由を感じる。同じ事をしていてもそこが違うと差は大きいと思う。

相手軸ではなく自分軸になったときに新しい世界が見えるような気がする。人に幸せの原因を委ねると、相手によって幸せだったり不幸せだったりしてしまう。幸せになりたいと誰もが言うのだけど、本当は幸せでない人なんて居ないのではないかとさえ思う。
なぜなら、幸せとは外的な特定の状態の事を言うのではなく自分の心が感じるものだから、いつでもその気になれば幸せになれるんだと思う。多くの人に「大変ね~」と同情されるような事態のまっただ中にあっても、幸せを感じる事は出来ると思う。
今無事に生きている、ということそのものが幸せだと思う。
一口のごはん、1本のたばこ、1杯のお水、一かけのチョコレート、暖かい日差し、丸くなって寝ているネコ、洗濯物の香り、そういうものの一つ一つを味わっていると、多くのものを持つ必要は無いのだと感じる。
(家がものでいっぱいで散らかっているわたしが言うのも何だけど)

Ameblo 2008-10-20 より

よかったら投げ銭よろしくお願いします。 よい循環させていきます。