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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】虎猫ー謙虚に、貪欲にー

第1弾をアップして

2020年4月17日、アマチュア大喜利プレイヤー列伝シリーズの第1弾となる記事をnoteにアップした。「大喜利プレイヤーにインタビューをし、それを元に文章を書く」という初めての試みとなった記事は、取材対象者のゴハ本人の拡散も手伝って、それなりの反響を呼んだ。

筆者である私は、アップした40分後、記事を載せたツイートにリプライする形で、このように告知をした。

「『この人に取材して欲しい』みたいな声は随時受け付けています。」

この言葉に反応した、とある関東の大喜利プレイヤーから、取材希望として3人のプレイヤーの名前が書かれたDMが届いた。そのうちの一人が、第2弾となるこの記事の主役、虎猫である。

虎猫は、関東の大喜利プレイヤーで、全国各地の様々な大会に出場し、数多くのタイトルを獲得している。その独自の視点とワードセンスから生み出される、誰も真似出来ない回答、否、真似出来そうで出来ない回答が、虎猫の強みである。

また、「始めの一歩」「きっかけの一歩」という、まだ生大喜利の経験が少ない初心者のための会を定期的に開いており、新規参加者のための入り口として機能している。事実、その会でデビューし、今日まで大喜利を続けているプレイヤーも多数存在しており、その功績は大きい。

しかし、虎猫が何年に生大喜利デビューしたのか、なぜ初心者向けの会を開くに至ったのか、その辺の事情は詳しく語られていない。その理由は簡単、語る必要が無いからだ。

それならば、ここで大いに語って頂こう。TwitterのDMで取材交渉をし、現在大喜利目的でも使用されている「ZOOM」で取材を行うことになった。

”始まりとは”

2020年4月26日14時、インタビュー開始。
軽い挨拶を交わし、ZOOMでの録音機能のテストをしたのち、本題に入る。
まずは、生大喜利デビューした日のことについて訊いてみる。

「(生大喜利)デビューして何年になるんですか?」
「何年・・・ちょっと待ってください」
おもむろにキーボードで検索する虎猫。
「・・・2010年ですね。間違いないです。毎回、その時に出た大喜利天下一武道会のことを調べて思い出すっていう(笑)」

10年続けていることに自分でも若干驚きつつ、デビューが第12回大喜利天下一武道会の予選であることを語ってくれた。

大喜利天下一武道会。
アマチュアもプロも関係なく、誰でも出られる大喜利の大会は数あれど、規模の大きさだけで考えると、大喜利天下一武道会(以下、天下一)は日本最大である。

虎猫は、天下一の存在をYouTubeで知った。
「天下一が予選のハイライトみたいなのを上げてたんですよ。お笑いとか大喜利関係の動画を観てて、関連動画で出てきたんですよ」

その天下一の宣伝動画と出会った時は、偶然にも次の大会の募集期間だった。エントリーを決めた虎猫だが、ネット大喜利は数年前からやっていたものの、生大喜利の存在は全く知らなかった。よって、生大喜利の繋がりがあるわけでもなく、知人もいなかった。何も知らない状態で飛び込むことに、躊躇はしなかったのだろうか。

「エントリーをして、お互いネットで知ってたキルヒホッフさんが、俺とすり身さんの名前を見てエントリーしたんで、キルヒさんだけ知ってたんです」

天下一の予選は、1stステージと2ndステージがあり、2ndを突破すると、本戦に進出することが出来る。生大喜利デビューをした虎猫は、1stステージをギリギリで通過するも、2ndステージで敗退する。

「本当に何もわかんないままだったというか、全然生大喜利わかってなかったので」生大喜利とネット大喜利の違いに適応出来なかったことが敗因だと虎猫は語る。

「ただキルヒさんが本戦通ったんですよ。だから何だろうな、悔しさはありましたよね」

人が増える、場が増える

当時、関東では天下一とその運営が主催する修行会くらいしか、生大喜利に取り組める機会は無かった。「自分で場を作らない限り無かったんですよ、大喜利会にしろ大会にしろ」

虎猫が始めた当時は、人口が少なかった大喜利界隈だが、徐々に人が増えていく。それに伴い、より頻繁に大喜利会が開かれるようになり、大会も生まれていった。

最初はカラオケを借りて会を行っていたが、後に会議室を使用するようになる。今でこそ当たり前に使われている区の会議室だが「簡単に借りられるぞっていうのが、本当にエポックメイキングというか、革命だった」。

虎猫自身も、冬の鬼、鯖鯖鯖んなと共同で、「重力、北京、ナポレオン」という大喜利会を立ち上げる。一応初心者向けの会という位置付けで生まれたものだが、ネット大喜利を主戦場としている人に向けての会だった。「ネット大喜利をやっている人たちに、生大喜利の会に来てもらったら面白いんじゃないか」という発想の元、「重力、北京、ナポレオン」は生まれた。2012年のことである。

この頃から、生大喜利の人口は増えていった。不定期で開催したこの会も、人口増加に拍車をかける要因の一つとなった。「重力、北京、ナポレオン」をきっかけに大喜利を始め、今でも続けているプレイヤーもいるという。

後に、再び初心者に向けての大喜利会を開くことになるのは、また別の話である。

印象深い大会

「ちょっとあの、見てもらいたいものがあって…」
ZOOMのチャット欄に、とある文字列を貼り付ける筆者。

2011年12月 オオギリロマネスクZ
2012年9月 多摩地区大喜利大会
2012年10月 大喜利修行会
2013年6月 大喜利修行会
2013年12月 大喜利修行会
2014年2月 オオギリダイバー13予選B
2014年5月 第2回大喜利未来杯
2014年10月 24時間大喜利王
2015年5月 大喜利ライブ「じゃぐぷち」
2015年5月 オオギリダイバー18.5クインテットトーナメント
2015年8月 第10回多摩地区大喜利大会
2015年9月 東京地獄大喜利~零~
2015年10月 モバマス大喜利「プロデューサー王座決定トーナメント」
2016年3月 大喜利未来杯-NEXT2-
2016年7月 電撃大喜利杯タッグマッチ
2016年9月 第8回大喜利鴨川杯
2017年8月 大喜利千景3on3トーナメント
2017年8月 第二回大喜利東海杯
2017年10月 アイドルマスターシンデレラガールズ大喜利会「憑依大喜利」
2018年2月 超加点大喜利杯in大喜利千景
2018年9月 大喜利ATPWorldTour2018
2018年10月 大喜利竜王戦
2019年3月 超加点スピードスター杯2
2019年4月 戦2019―大喜利団体対抗戦―
2019年5月 スーパーエース大喜利
2019年7月 決答賞
2019年11月 喜利ベロス四/魔犬忍法帖
2019年12月 ボケルバトーナメント
2020年3月 シャニマス大喜利「アイドル憑依大喜利」

これは、Twitterで「虎猫 優勝」と検索し、ヒットしたタイトルである。印象的だったものを聞いてみると、自分のターニングポイントとなった大会があるという。それが、2014年10月に行われた「24時間大喜利王」だ。これは「24時間大喜利フェスティバル2014」という24時間ぶっ通しで行う大喜利イベントの、最後に行われたプログラムである。

「(24時間の)最後にやるにしては過酷だろくらいのガチのトーナメント」で、虎猫は「ゾーンに入って」優勝した。
「これ以前と以後で、大喜利の実力は変わっている」「自分の中のMAXを抜けて、コントロールが出来るようになったイメージ」と語る。成功体験として、非常に大きいものとなった。

「まあ鴨川杯とかも印象深いですけどね」
タイトル年表を見て、思い出しながら語る虎猫。鴨川杯は、多い時は一日で100人近い人数のプレイヤーが競い合う、大規模な関西の大喜利大会である。虎猫は、プレ大会である第0回の鴨川杯から参加し、一部の回を除いてほぼ出場している。

第8回鴨川杯にて、虎猫は、敗者復活戦を勝ち抜き、そのままの勢いで優勝を決めた。鴨川杯の敗者復活戦のルールは、回によって異なる。第8回は、出場者が運営陣を一人選び、その運営が出すお題に一問一答で回答する。その後、選ばれた6人で大喜利をして、2人が勝ち抜けるというルール。

これまでに参加した鴨川杯では、「絶対優勝するぞという気概で挑んで空回り」していた虎猫。本戦進出経験もなかった。当然、敗者復活戦で必ず勝ち上がりたいと思っていた。出された一問一答のお題に、時間を使って考え、なりふり構わず長文の回答で挑んだ。それが功を奏し、敗者復活戦を突破した。

敗者復活戦を勝ち上がったことで、気持ち的にも楽になった虎猫は、本戦で結果を残し、見事優勝することが出来た。

始めの一歩、きっかけの一歩

「初心者向け大喜利会『始めの一歩』開催致します。」

2018年3月9日、虎猫のTwitterアカウント上で、このような告知が行われた。読んで字のごとく、まだ生大喜利の経験が少ない、”初心者”を対象とした大喜利会が開催されようとしていた。

「新規で入ってくる人が止まってて…喜利の箱わかります?」

喜利の箱は、かつて池袋に存在した、大喜利専門のスペース。メディアにも取り上げられたことのあるこの場所は、初めて大喜利をする人の入り口のような役割を持っていた。2017年5月に閉店してからは、初心者も参加しやすい場所が、関東にはほぼ無かった。

大喜利会は、知り合いのみの募集など、特殊な場合を除いて、誰でも参加が可能である。自分も主催者の端くれとして、自分の大喜利会に訪れた新規参加者は、大事にしたいと考えている。しかし、会で行う企画が100%初心者のためかというとそうではないし、熟練者の中に混じって大喜利をすることは難しい。ましてや、その後別の大喜利会に参加し、大会に出場するまでに至るには、かなり高いハードルを越えなければならない。

冷静に考えると非常に難しい新規参入からの定着だが、ここにもし初心者のための会が存在していたら…?

虎猫は、運営のMA、警備員、ゲストのないとくん、冬の鬼、ぺるとも、星野流人、まるおといった面々と共に、会を立ち上げ、2018年4月7日に「始めの一歩」は開催された。この会では、2016年2月17日以後に生大喜利デビューをしたプレイヤーのみが出場できる「U3 OOGIRICHAMPIONSHIPS"答龍門"2019」で、優勝を果たしたぐーがお、準優勝の電子レンジ、「EOT -extreme oogiri tournament- 第4章」でタッグを組んで出場し、本戦進出を果たしたジョンソンともゆき、ハシリドコロ、2020年の答龍門で優勝した字引きといった面々が、”いっせーのせっ!”で生大喜利を始めた。

今でこそ定期的に行われている「始めの一歩」だが、「ひとまず単発でやってみよう」という意思の元で行われた。しかし、運営、ゲスト共に予想だにしなかった結果に終わる。

「ベタなこと言うと神回というか、第1回以降の会もそれぞれ全部良かったんですけど、第1回は特別でしたね」

初心者が大半を占める中で、どのような形になるかわからないまま開催した会が、大盛況で終わったのだ。

「初心者会の方がお題に向き合うっていう、小細工も出来ないから、それが24人全員まっすぐ向かっていったらそりゃ大喜利として面白くなるなっていう。それを全身で浴びたというか、全員感動して、マジでここじゃないと出来ないなって感じでした」

この盛り上がりを受けて、「単発で終わらせるのはもったいない」「一回やっただけでは意味がない」という共通認識を運営の間で持ち、続けていくようになったのだ。

2018年12月8日、同じく虎猫主催の初心者会、「きっかけの一歩」が開催された。経験者をゲストに迎え、初心者のための企画を行うといった内容はほとんど変わっていないが、第1回目の「始めの一歩」が盛り上がりすぎたため、別物にしてハードルを下げる目的で名前を変えた。

この「きっかけの一歩」もかなりの盛り上がりを見せ、翌年から、春開催の「始めの一歩」、秋開催の「きっかけの一歩」と、定着するようになる。

2019年4月13日、2回目の「始めの一歩」が行われた。後日虎猫は、ツイキャス内で個人的な振り返りをした。その中で「初心者会を失敗するわけにはいかない」という発言があったので、詳しく聞いてみることにした。

「初心者会に来る人ってその会しかないから、その会でその人の大喜利の印象が決まる、玄関みたいなもんだから。ダメな感じで終わってしまった場合、その人の大喜利、ひいては生大喜利の印象がマイナスで終わってしまうじゃないですか。その会の中で絶対失敗するわけにはいかないんですよ」

虎猫の初心者会に対する熱意と、それに伴うプレッシャーが感じられる発言である。

また、第1回目の「きっかけの一歩」を振り返ったツイキャスで、これまでの、そしてこれからの初心者会参加者へ向けられたものであると筆者が勝手に感じた、このような発言があったので紹介したいと思う。

「去る者は追わず来る者は拒まずだけど、2歩目3歩目を踏み出して欲しい」

最高の勝利

「始めの一歩が戦2019、優勝です!!」

司会者の声が会場を揺らす中、感情を思い思いに爆発させながら駆け寄る4人の男たち。

2019年4月29日、「戦2019-大喜利団体対抗戦-」、通称戦が行われた。大阪で行われるこの大会だが、全国各地から出場者が集まり、参加人数と会場のキャパシティも相まって、一大イベントと化している。

大喜利のイベントは個人戦が多いが、戦は団体戦である。3人もしくは4人のチームを組み、エントリーを行う。大喜利会や大会を一度でも行い、それに参加した人となら、出場が可能である。

「僕はそんな(戦への思い入れは)無かったんですよ。自分から出たことが無くて、誘われて出るみたいな。自分の団体って無かったし。」

「始めの一歩」「きっかけの一歩」以外に主催経験が無いわけではなかったが、自分が団体の代表者となり、戦にエントリーしたことは無かった。戦2019に「始めの一歩」でエントリーしたのも、自分発信では無かったという。

「ジョンソンともゆきとぺるともの間で、戦に始めの一歩で出たいですね、みたいな話が起きて、虎猫さんやりませんかと言われて出たみたいな」

第1回の「始めの一歩」で生大喜利デビューしたジョンソンともゆきと、経験者ゲストとしてオファーしたぺるともに誘われる形で、出場を決めた虎猫。戦に対する思い入れは、他団体の出場者に比べて薄かった虎猫だが。

「始めの一歩で出るのであれば、下手なことは出来ないぞという気持ちがあったんで、モチベーションはすごいありました。」

上記の三人にハシリドコロを加え、4人で戦に挑んだ。エントリーされた28団体を4つのブロックに分け、各ブロック2組が本戦に進出する。様々なジャンルのお題に挑み、チームでポイントを獲り合うのが簡単な戦のルール。予選で見事100ポイントを獲得し、本戦に駒を進めた「始めの一歩」だが、虎猫は、予選で活躍することが出来なかった。

「一回めっちゃへこんだのは覚えてますね。チームメイトの活躍で本戦に引き上げてもらったみたいな感覚があったから、本戦で気合入ったっていう感じですね。」

失うものが無くなり、改めて意気込んだ虎猫。本戦は8団体を2つのブロックに分け、先鋒、次鋒、副将、大将の順に対戦する勝ち抜き戦だ。先鋒を務めた虎猫は、もう予選の調子が振るわなかった時の顔ではなくなっていた。

その後、次鋒のジョンソンともゆき、副将のぺるともの活躍も加わり、大将のハシリドコロに出番が回ることなく、「始めの一歩」は決勝に進出した。

そして迎えた決勝戦。対戦相手は「北摂大喜利会」。メンバーはとうふ第三軌条、水山、タイガーバームガーデン堀(現モモス)、ダンジョンのTといった面々で、それぞれ違う種類の面白さと強さを兼ね備えた、実績と実力のあるチームだ。

調子を取り戻した虎猫は、相手チームの先鋒の水山、次鋒のダンジョンのTを下し、強さを観客に、そしてチームメイトに見せつける。

しかし、厳しい予選を勝ち上がってきて、負けるわけにはいかないのは相手も同じ。副将として出た堀が、誰も寄せ付けないパワープレイで始めの一歩の面々を次々と倒していった。

大将として登場したハシリドコロ。チームとして後が無い状態で、ペースを乱すことなくクオリティの高い回答を連発し、堀の独走を止めることに成功。

大将戦。ハシリドコロVSとうふ第三軌条。最終お題は「何かがしっくりこない最新ゲーム機『ニンテンドーFuitch(フイッチ)』の特徴」。ある時はゲームの要素を、ある時は全く別の要素を使い、あらゆる角度から攻め続け、お互い一歩も譲らない対戦となった。

決勝戦の審査員は、本戦で敗れた6団体から3人ずつ選出される。18人が面白かったチームの色の札を挙げるのだが、全員の審査が適用されるわけではない。ルーレットで決まる5人の審査員によって判定されるのだ。

お互い全てを出し切り、判定を待つ。18人の審査員が挙げた札は、見た所ほぼ互角。どちらが勝ってもおかしくない。ルーレットが止まる。選ばれなかった審査員が札を降ろす。始めの一歩に投票した審査員は3人。一票差。勝負は”瞬間で”決まる。「始めの一歩」は優勝団体となった。

「この4人で勝つこと以上のこと無いだろって感じだし、これ以降はあの優勝は越えられないと思いますよ本当に。初心者の団体が優勝するって最高だろと思って。これからを考えて、未来として。そういう意味でも最高だったなと思ってます。」

この人に驚いた

普段から数多くの会に参加し、人の大喜利をよく見ている虎猫。Twitterで膨大な数の回答をしがんできたが、特に凄いと思った人物は誰なのだろうか。

「生大喜利で考えたら、俺ランさんは結構びっくりしましたけどね」

俺ランこと俺のランボルギーニは、2007年に生大喜利を始めた関東のプレイヤーで、世代としては虎猫よりも少し上の存在である。天下一で準優勝を2回経験しているなど、実力は折り紙つきだ。筆者も何度か生で大喜利を見ているが、回答のパラメータを「面白さ」に全振りできる数少ないプレイヤーである。

虎猫は俺のランボルギーニを「生大喜利の固まりのような人」と評する。「こういう大喜利もあるんだみたいな、ネットの大喜利を10年やってた身としては、結構ある種カルチャーショックというか、最初のインパクトとしてはありましたね。」

まだ生大喜利の文化に触れたばかりだった虎猫は、俺のランボルギーニの大喜利を見て学ぼうとした。生大喜利にのめり込む引き金となった人物である。

「あとまな!さんも衝撃だったなー」

まな!は関西の大喜利プレイヤーで、先述の戦2019で、自身の活躍によりチームを本戦へ進めるなど、高い実力と評価を併せ持っている。誰ともかぶらない視点で回答を繰り出す、唯一無二の存在である。元々虎猫はネット上でその面白さは把握していた。実力を十二分に知っていた上で、生大喜利をするまな!を見て、さらに衝撃を受けた。

「生でネットの感覚でここまで行ける人いるんだっていう、生じゃない所の感覚で戦ってるなって、割とかなり驚いたのはあります。絶対真似できないって思いました。」

タイプの違う実力者2人の名前を聞き出し、満足した筆者。話題を切り替えようとした瞬間、思い出したように語る虎猫。

「・・・ああでももう一人いるな、直泰だ。」

関東の大喜利プレイヤーである直泰は、先述の「重力、北京、ナポレオン」で大喜利を始めた人物である。直近の天下一でも本戦進出しており、虎猫曰く、始めた当初から次元が違ったそうだ。

「最初っから格が違うというか、深さって言うんですか?ただ答えるだけじゃなくて、何個も何個もフックをかけてくる。めちゃくちゃ難しいことをやってるんだけれども、それを難しく思わせないというか。」

虎猫にとって、俺のランボルギーニが手本、まな!が感嘆なら、直泰は羨望の対象である。

原点であり戦場

ここまで何回も書いてはいるが、虎猫はネット大喜利も、生大喜利と同様貪欲に取り組んでいる。お題に対する回答を匿名で一つ記入し、投票や採点によって成績が決まるネット大喜利。生との違いや、その魅力を聞いてみることにした。

「匿名性で、文章のみじゃないですか、そこが一番魅力だと思ってますね。それ以外のものって切り離されてて、大喜利の質と文章の良さだけの勝負なんで、それがやっぱずっと惹きつけられてる部分としてありますね。」

「純粋な力勝負」であるネット大喜利には、虎猫が心から「勝ちたい」と思わされる魅力がそこにはある。
「モチベーションは無くなったことはないですね。もちろん別個のものなんで、ウケた喜びとか勝った喜びとかそれぞれ別なんで、どっちが上っていうのは無いですけど、ネットでちゃんとウケた時の、快感や感覚はずっとデカいですね。ちゃんと大喜利が認められた感じがするっていうか。」

さらに虎猫は「生大喜利をやってて、ネット大喜利をつまんないと思われたくないし、ネット大喜利をやってて、生大喜利をつまんないと思われたくない」と語る。ネットでも生でも、大喜利は大喜利、同じ熱量で向き合っているのだ。

「両方とも良いと思われたいし、両方で結果を出し続けたい。ネット大喜利の人に生大喜利やってもらいたいし、逆もある。」

以前は、周りのことは気にしなかった虎猫だが、初心者会を通じ、人と深く関わるようになってから、その考え方は変わった。

「自分だけの話ではないなって。自分がダメなことによって他を悪く思われたくないんで。」

生大喜利とネット大喜利、全く種類の違う2つの世界で”いきるもの”としての矜持を、少しだけ知ることが出来た。

おわりに

虎猫本人は、取材を開始する前に「大した話が出来るかどうか」という旨の、自信の無い発言をしていたが、なかなか濃い話を伺うことが出来た。

虎猫が動いたことで起こった、現在の大喜利界隈への影響は間違いなく存在する。この記事でそれが少しでも広まり、伝わることを願うばかりである。

今年4月に行われる予定だった3回目の「始めの一歩」は、延期となってしまったが、”いつか”開催されるその時、大成功で終わることが、筆者の”希望”である

取材を通じて印象的だったのは、「優勝するつもりで(大会に)出た」のような、強気な発言である。達成出来なかった時に傷つくのを恐れ、目標を低く設定している筆者にとって、優勝を目標に掲げるのは、ある種勝つことより難しい。

モチベーションは人それぞれであり、虎猫も心情を押し付けるような真似はしないだろう。ただ、もう少し目標を高く設定するのも、悪くないのではないかと思わされた。

記事を読んでいただき、誠にありがとうございます。良かったらサポート、よろしくお願いいたします。