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エッセイ 露天風呂と雷

三連休、この台風が襲う猛威の中、家族で温泉旅行へ行った。
旅行と言っても家から車で2時間弱、一泊二日の軽いものである。ダラダラと昼前に出発し、道中でラーメン(ご当地ではなくありふれたチェーン店)を食べ、軽く観光して早めにホテルへチェックイン。天気が悪くてやることがないので、部屋でテレビを見てまったり過ごした。
夕飯はまぁまぁ値のするホテルだったためもちろん美味しかったが、子供の残飯処理に精を出して腹がはち切れそうになり、部屋に戻ってしばらくは幸福感より苦しさに襲われた。

暴れる子供と夫が早々に寝静まった後、私はひとり部屋を抜け出し露天風呂へ行った。夕飯前にも一度入ったのだが、幼児と一緒だったのでとにかく慌ただしく、十分に露天を満喫できなかったのだ。これは小さい子供を育てている方には大いに共感してもらえると思うが、家族が寝静まった夜というのは、親にとってこれ以上ない程のご褒美タイム、パラダイスと言って差し支えないだろう。ここ最近、子供の寝かしつけと同時に寝入ってしまうことが多かったため、私は久々のパラダイスタイムにウキウキしながら、大好きな露天風呂へいそいそと向かった。

そこのホテルの露天風呂は、屋根もなく夜空が一望できる、開けたロケーションだった。これは晴れていたら星を眺めながら風呂に浸かることができて最高だな、と思った。
そう、晴れていれば。
冒頭で書いた通り、天気は荒れ模様。雨こそ激しくないものの風がそれなりに強い。そして、夜空はしっかり雲に覆われ星一つ見えない。いや、星どころではない強烈な光なら見える。2分に一度ほどのペースで、空全体がカッと光っては消える。
雷である。
恐らくは積乱雲があるのだろう。稲妻自体は雲の中のようなので見えないが、とにかくよく光る。海の近い温泉だったため、風と荒れ狂う波の音に負けて雷の音はさほど聞こえなかったが、その屋根のない最高のロケーションは、雷の光を遮るものがなかった。

私事だが、露天風呂は大好きだ。子供もいなく一人の状況ならば、少なくとも30分は入る。家の風呂でも土日などは窓を開けて露天風呂気分を味わいながら長居することがよくある。
しかし、そんな私でも雷の露天風呂には恐怖を覚えた。ピカッと光る一面の空の下、開けた場所に裸で群がる霊長類のわたしたち。そんなことはないと思うのだが、今この建物に雷が落ちるとしたら、それは避雷針ではなくこの露天風呂に落ちるに違いないとすら思えた。神の鉄槌は娯楽に群がるヒトに下る。何故か懺悔したい気持ちになった。
それに、夜に空一面がピカピカ光ると言うのはちょっとしたスペクタクルである。さながら涼宮ハルヒの生み出した閉鎖空間のように思え、今この空が割れて神人が現れたらどうしようとすら考えた。

しかし、私は恐怖に怯えつつも、「たとえ神であろうとも私のパラダイスタイムを邪魔することはできない!」という反抗心を抱いて、しっかり露天風呂に浸かり、しっかり空を見上げ、しっかり30分入った。
すると、30分も経てばそのスペクタクルショーにも見飽きて、すっかり慣れっこになった。私はそこで風呂を移動し、同じく露天の、寝そべることのできるバブルバスに入った。
肩まで入りつつも寝たような体勢になれるのが実に気持ちいい。しばらくそこでぬくぬくしていると、肩になにかカサカサと当たるものを感じた。
何かと思って見やると、そこには温泉の湯にプカプカと浮かぶトンボの死骸があった。
「ふぎゃあ!」と軽く声を上げながら私は火照ったかのような赤い体を持つトンボさんから慌てて離れ、一呼吸して、まずは落ち着くよう試みた。
しかし、そのプカプカ浮かぶトンボさんを見ていると、もしや、神の怒りの稲妻に打たれてここに落ちたのでは?と思えるのだ。
そんな私の頭の上で、空は相変わらずピカピカ光っている。神が言っているのだ、ハメを外しすぎるなよ、人間、と。露天風呂に長居する暇があったらもっと有効なことに時間を使えと。さもなくば、死してなお温まり続けるこのトンボのように火照ってしまうぞと。
私は不気味になり、そのバブルバスから出て、こんどはいい匂いのするアロマバスへ移動した。こちらも同じく露天だが、アロマバスの上には屋根があり、空は先程より見える面積が小さくなる。私はそこで神の怒りから逃れつつも娯楽を続行することにした。

そこから30分。気付いたら1時間近く露天風呂に浸かっていたことに気付く。そして同時に、風呂に入り続けているのに体は温まるどころか、冷えて寒いと感じた。そう、1時間のうちに風呂の温度が下がり、いつしかぬるま湯になっていたのである。気付けば入った時は10人近くいた他の客は一人もおらず、娯楽を満喫する霊長類は私一人のみとなっていた。
神の怒りを一人で買うのは癪なので、私は室内風呂に移動し、冷えた体を熱い風呂で温めた。しかしそれも長居はできなかった。冷えて寒いように感じていたのに、いざ熱い風呂に入るとすぐにのぼせるのである。やはり体の芯はもう火照っているのだろうかと疑問に思いながら、私は流し場でシャワーを浴びて体を拭いた。
そこの排水口近くに、何処から入ったのかカメムシが一匹、流されそうになっていた。「お前も神の怒りを買ったのか、可哀想に」と同情しつつも、私は何ら助け舟を出すことなく風呂を後にした。

風呂に1時間も入っていたのに、結局温まったのか冷えたのかわからない体を拭いて、ドライヤーをかけた。設置されているウォーターサーバーの冷たい水を飲むと、そのキンとした心地良さから、やはり体はしっかり火照っていることがわかる。私は見事神の怒りから逃れ娯楽を満喫したのだと、その勝利の味をしみじみと堪能したのだった。


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