見出し画像

受動的に自己を開く14

十二月五日(日)

十一時基町着。バーベキューの日にライターをくれた中国商店の方にお礼をしに行こうと思い、M98で展示中の器二点を選ぶ。Kさんにどれがいいと思うか尋ねたら、中国の人は派手なのが好きな印象があるからこれがいいと思うと、緑色の器を選んでくれた。さっそく届けに行く。ニーハオと挨拶し、お礼の品であることを伝え、器を二つ店主に渡した。自分で作ったのか?すごい!ということを言って受け取ってくれた。

前期の展示が終わって約二週間。十二月四日には「基いの町」の後期が始まったところだ。結局、僕は「基町河川敷陶芸クラブ」という提案系作品を展示している(公共について考えることがきっかけで、作品ではなく提案というところまでで止めるという手法を以前もとったことがある)。これは、基町の横を流れる太田川(住民には元安川だとも聞いた)の河川敷で野焼きによる陶芸クラブを組織できないかという提案になっている。

基町は公園利用だけでなく、ショッピングセンターなどの利用のされ方を見ても、公共空間の使われ方が非常に豊かだ。今はサッカースタジアム建設の為、隣接していた中央公園が失くなってしまったのだが、その公園がある頃は音楽をしたり体操をしたり、住民が自由な活動が今以上にあったそうだ。最近の一般的な日本の公共空間の使われ方は「皆の物だから誰にも迷惑をかけないように」という考え方が強すぎて、結局誰もどうやって使って良いのか分からないという感じの公園が多い。しかし基町の公共は少し違うと感じている。いくつもの町内会が1か所の団地の中にあることで、住民同士の繋がりが強く、自分ちの庭的な使い方をショッピングセンターや公園でされているように僕には見える。

その為、河川敷で焼き物を焼くこともしやすいのではないかと考えた。実際にバーベキュー等の利用がコロナ禍で増えてきているということもある。仮に陶芸サークルが実際に基町で組織され、河川敷で焼かれるようなことになれば、河川敷に等間隔に七輪が置かれ、煙が立っているというような景色もいつの日か実現するかもしれない。そのような空想を提案したことが、今回の出品作となる。

十一月二十一日に前期の会期が終わってからnoteを更新していなかったが、終わってからも焼き物を河川敷で焼いたり、新しいお店に顔を出してみたりとしていた。

前々から気になっていた居酒屋二軒に行った時。ろれつが回っておらずかなり酔っ払ったように見えるバングラデシュの方が後から入って来られた。バリバリの広島弁でまわりのお客とお話しておられる。日本に来てから三十年は経過しているらしく、二十歳年上の日本人妻もいるとのこと。六十代だが女性に対してかなり積極的な方だった。お店のママが「奥さんを呼ぼう。酔っ払いを連れて帰ってもらおう。」と妻に電話した。彼はまだ飲みたそうで嫌がっていたが、どんな人が来るんだろうかと僕は想像を膨らませた。予想を遥かに超える強烈キャラの奥様が入って来られた。バングラデシュの彼よりさらに酔っ払った状態で現れた彼女は聞いていた年と比べ若く、男女の話をしきりにしていた。80代以上の方がここまで酔っ払っている姿を初めて見たから、身体が心配になったが、それよりも心が元気な方が基町には非常に多いと感じる。

後期の展示が昨日始まった。この展示は、次年度に向けた制作プロセスを見せるというものだが、思っていた以上に「作品」になった。これが良いことなのか悪いことなのかまだ分からない。僕は制作を誰かにお願いして進めるという経験があまりなく、苦手意識もあるため、基町でも基本的には自力で制作を進めてきた。しかし、M98など長年基町でプロジェクトを進めている組織があることによって、住民がアートを受け入れる耐性がすでに付いており、スムーズな制作ができたということが今回の「作品」にはあったように思う。次年度どういうふうに制作が展開していくのか分からないが、住民と共同で何か制作できるような仕組みや制作方法など、今まで経験してきていない方法も検討に入れていけるかもしれないと期待している。

取り壊された県営住宅の跡が公園利用されている空き地で、この記事を今書いている。書き始めた時には、子どもたちがサッカーボールを蹴ったり、自転車に乗ったりしていたのだが、今気がついたら、ポールとネットを持ち込み本格的にテニスの練習を始めている人がいる。普通の公園ではこういう光景は見れない。こういう光景を見ると、やはり時間をかけ生活をしないと見えてこないことが基町にはたくさんありそうだと思う。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?