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「有意義」に押しつぶされない

朝の散歩を習慣づけすると宣言してはや2週間。

最初の6日は続けられたが、その後諸事情によりほんとうにできず、やっと生活が戻ってきて昨日再開したのに、今日は眠すぎて起きれずじまい。こんなマイナスな書き出しは好きではないなあ。明日から再開できるよう、就寝時刻を早めよう。


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昨日、動かないからだをむりやり動かして今までで一番遅いスピードで歩いた。

いつもは周りを見渡して、人間や川を観察するのだが、昨日は考えごとをしながら歩いてみた。意識して考えごとをするのは少し難しかった。

ぽんぽんといろいろな考えが思い浮かんできて、家に着くころには忘れそうだったので、スマホのメモにあわてて書きこんだ。

以下はメモ。

・有意義な時間を過ごせないと焦る
・こんなことなら夏休みなんて早く終わってしまえ
・有意義な時間とは?有意義かどうか、その時間を使っているときはわかるのかしら

つい最近「有意義な時間をすごさないといけない病」なるものにかかっている人の記事を読んだことや、あと2週間ほどで夏休みが終わってしまうこともあって、きっとこんな思考をしたんだ。


大学生の夏休みなのだから、一般的にいえば人生で最も時間があり、やりたいことはお金と法律が許す限りなんでもできる時期。

勉強する、旅行に行く、アルバイトをする、インターンに参加する等、わたしが想像つかないことをしている人もたくさんいるんだろうな。

今年はわたしにとって、夏休み2か月間をまるまる自由に使える最後の年だったから、お金をためて初めてのヨーロッパ旅行をしてみたかったのだけれど、それもかなわず。国内旅行の予定もたてる気にならず。

ただ、そんな状況でも有意義な夏休みにしなければ!と気負っていた


年末に所属する研究室を決める必要があることや、就職活動をする友達が多くいることから、自分がこれから就く仕事や作っていくであろう家庭のこと、今の家族のことなんかについて真剣に考えた夏休みだったなと思う。

一人暮らしの自宅の部屋で机に向かっていることが多かったから、noteを読んだり書いたり、読書をしたりして、考えることが多かった。


しかし、一日の終わりに、今日っていったい何をしたのだろう、と思ってしまう日もあった。たとえば夕方からバイトがあるだけの日。8時までに起床することだけは守り続けたので、バイトまではたっぷり時間がある。はずなのに、なにをするでもなく気がついたらバイトの時間になっている。

そんなとき、「ああ、有意義な時間を過ごせなかった」「なにも得られない時間になってしまった」と落ち込み、焦り、そんな時間しか過ごせない自分に怒りがわき、最後に悲しくなる。


ちょっと冷静になろう。

有意義に過ごす、有意義な時間の定義って?それはその時間を終えてすぐ決められるのだろうか?

Weblio辞書では「意義」をこう定義している。

物事の存在・実行などにおける価値や重要性。または、言葉によって表される内容や固有の概念。
(省略)
「意義」とは「道理にかなっていて行うべき物事や内容」といったニュアンスを表現する言い方といえる。

つまり有意義な時間=意義がある時間、とは「価値や重要性がある時間」ととらえられる。

ここからはわたしの考えだ。

まず、その時間を過ごすのは紛れもなく「わたし」であり「わたし」のみであるから、有意義であったかどうか判断できるのはわたしだけである。これが一つ。

次に、その場での判断のみで、その時間が有意義だったかどうかは決められない。その時間があったから今落ち着いていられるのかもしれないし、新しい考えが生まれるかもしれない。だから、たとえばその場で一時的に有意義に過ごせなかったという判断を下したとき、自分を責める必要はない。怒る必要ももちろんない。

ただ、こんな場合、その時間を振り返ることが必要だと思う。

だらだらっと過ごしてしまったなら、具体的になにをして過ごしたのか。スマホ?ゲーム?それとも寝てしまった?

振り返ってもし、改善点が見つかるのなら、ばんばんざい。さらに、これからに生かせるという点で有意義だといえる。


有意義な時間を求めるがあまり、押しつぶされないこと、気負わないことが大事なのかな。簡単なことではないけれど。

ありがとうございます! 明日の朝ごはんはちょっと豪華になります!