縦線のその先

目の前に紺色の縦線が広がっていた。その縦線をじっとみていると、まっすぐではなく、少し歪んで列を成していることに気づく。

山手線の外回りで、のしかかるように立つサラリーマンの眉間は狭い。きっと何十年間もしわを寄せ続けてきたのだろう。歴史があるのだ、それぞれの眉間には。

鉄柵にもたれるようにつかまっていたその人も、ターミナルで一席空くとすぐに収まり、一駅か二駅先で降りて行った。その縦線の抜け殻には、新たに乗車した赤ちゃんと母親が収まった。隣の人の良さそうな淑女が、かわいいわね、と微笑みかける。その様子をぼんやりと眺めていると、「浜松町」という緑の文字盤に気づき、慌てて席を立った。

振り返ると、私の抜け殻にはまた別の縦線が収まろうとしていた。誰かの抜け殻に収まるのも、誰かに抜け殻をとられるのも、悪い気分ではなかった。人類が繰り返してきた繁栄のルートを辿るよう。モノレールに乗り換え、私はみえなくなった祖先の抜け殻に収まる。

“働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり じっと手をみる”

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