ダイオウに会いに
特別な用事がないと上野に行くことはない。私の縄張りとはほとんど反対側にあるし、生活に必要なものは新宿や中野で手に入る。その日上野へ行ったのは、話題のダイオウイカをみるためだった。
慣れない上野駅を降りて待ち人と落ち合う。久しぶりに会う人とはいつも、距離がつかめずギクシャクしてしまう。敬語は心の距離だから、時折敬語を混ぜて距離を図りながら、西郷隆盛像を横目に国立科学博物館へ向かう。
展示物を目で追いながら、ひとりごとのような声で言葉をぽつりぽつりと落としていく。物知りな人は様々な知識を落とし、私は「楳図かずおの漫画に出てきそうだね」と頷く。ダイオウイカは水気がなくかさかさで、大きかった。
博物館を出て距離がつかめぬまま、灯りの目立つ喫茶店に入る。カフェオレとカフェラテをそれぞれ頼み、その違いを熱心に舌に覚えさせた。
特別な用事がないと上野に行くことはない。その日上野に行ったのは、ダイオウイカをみるためでもラテとオレの違いを知るためでもなく、ただその人に会いたかっただけだ。
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