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この景色が見たかったから

田中瑛斗は泣いていなかった。

ドラフト3位で入団し、プロ入り5年目での初勝利。しかし入団してから初勝利の間には大きな挫折と苦悩があった。
テレビを見ていた私は、勝った瞬間から目が潤み、円陣の中心の彼の笑顔を見ているだけで涙がこぼれ、ヒーローインタビューで喋る言葉に涙が止まらなかったというのに、本人の目には涙がなく、どこまでも晴れやかな笑顔だった。

ルーキーイヤーも2年目も、二軍ですら勝てない。しかも勝てないどころか負けばかりが積み上がっていく。2019年の11連敗はイースタンリーグのワースト記録だそうだ。
2019年秋に右肘の違和感を訴え、2020年7月9日に右肘手術。投げられないリハビリの日々が続く。しかし投げられるようになっても、手術前のような球速が戻らない。スタミナも落ち、制球も定まらない。
そして2021年秋、戦力外通告を受け、育成契約を結んだ。

育成選手として迎えた2022年シーズンも順風満帆ではなかった。3月4月は5試合に登板して0勝2敗。2.2回9失点ノックアウトという試合もあった。
ただ、球速が戻り最速は151km/h。少しずつ希望が見えてきた時期だったのではないだろうか。

そして5月17日にプロ初勝利を挙げる。プロ入り5年目でファームでの初勝利。苦しみの中で掴んだ勝利だった。
ただこの日は先発ではなく中継ぎ(ロングリリーフ)としての勝利。このあと2試合(2敗)を挟んで6月11日にやっと先発での初勝利を収めた。
しかしその2敗した2試合は後退ではなく大きな前進をした2敗だ。
5月25日は今季最長の7回を投げ切り(92球)1失点。
6月4日は6.2回99球で7失点(自責5)。
後半に打たれてはいるものの、100球近く投げられるスタミナもついてきた。
最速も150km/hを超え、ストレートの平均球速も145km/hを超えるようになった。

6月29日までで2勝6敗。防御率4.27。
成績だけを見れば、「これで支配下登録?」と思うかもしれない。
しかし田中瑛斗は着実にステップアップし、支配下登録を掴んだのだ。

7月7日の先発が決まり、試合前からチームメイトに
「絶対打ってやる」「絶対守ってやる」
と声をかけられていたという。
ずっと二軍で苦しんでいたことを、そして二軍で頑張っていたことをチームメイトはみんな知っている。
同期入団の清宮をはじめとして
「瑛斗のために打ててよかった」
「瑛斗に勝ちをつけるために」
と得点を挙げた選手たちは口々に語っていた。

「努力は一生、本番は一回、チャンスは一瞬」
新庄監督の言葉の通り、彼は一回の本番、一瞬のチャンスを逃さなかった。
7月7日77球でのプロ初勝利
巡り合わせとはいえ、みんなの記憶に残る一日になった。
勝利を笑顔で喜ぶ彼の姿、ヒーローインタビューで淡々と噛み締めるように語る彼の言葉には、これまでの辛く厳しかった日々を乗り越え「やっと勝てた」という安堵感と「まだここがゴールではない」「これからももっと勝ちたい」という意識を感じた。

「この景色が見たくて、プロ野球頑張ってきた」
とヒーローインタビューで語った田中瑛斗。
彼の目にはどんな素晴らしい景色が見えていたのだろう。

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