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ドラフト最下位の成長

ミーハードラフトと言われた2018年のファイターズのドラフト。
吉田輝星、野村佑希、万波中正、柿木蓮と甲子園のスターたちを次々と指名して行く中で、大学生から唯一の指名となったのは福田俊(ふくだすぐる)だった。

福田は札幌生まれだが両親の仕事の関係で小学4年生の時に神奈川に転居。高校時代までを神奈川で過ごし、大学は北海道北広島市にある星槎道都大に進む。三年次の明治神宮大会では、エースとして北海道勢初の準優勝に貢献し、その活躍が認められてファイターズから7位で指名を受けた。

ファイターズのその年の指名は7名。つまり最下位での指名だった。また札幌出身で道内の大学に通っていたことから『地元枠』の指名とも言われていた。
しかし2019年、ルーキーの中で一番最初に一軍昇格を果たしたのは福田だった。
開幕から2ヶ月後の5月26日に一軍昇格し、その後、本拠地札幌ドームを含め7試合を一軍で過ごした。しかし登板機会がなく抹消。それ以降は一度も一軍に呼ばれることなく、2019年のシーズンを終えることになった。

北海道ローカル番組のインタビューで福田はこう語っている

いま自分が置かれている状況や自分のレベルはそんなもんなんだなって思いましたし、もっと頑張って一軍の舞台で投げられるようにしたいと思いました

しかし加藤武治ファーム投手コーチはその経験をこう語った

一軍の緊迫したブルペンというのを経験できただけで、特に宮西のようなトップの選手がどうやって準備しているのかを見られただけで収穫。
この悔しさをバネにしっかり準備している最中なので、これからだと思います。

一軍での登板は叶わなかったが、加藤コーチの言う通りこの一軍のブルペンの経験は福田を大きく変えることとなった。

2020年。開幕一軍入りは叶わなかったものの、7月5日に昇格。7月7日オリックス戦で念願のプロ初登板を果たした。最初のバッターを三振に仕留めるものの、続く2人に連打を浴びて1失点。ほろ苦いデビューとなった。
しかし7月14日の本拠地デビュー戦は三者凡退。ご両親が客席から見守る中で好投を見せた。

8月27日の西武戦。これまではビハインドや同点の場面でしか投げてこなかった福田が8回、はじめてリードしている場面で起用された。しかも1点差という緊迫した場面で外崎と中村を抑えた。1イニング投げきらず、2人に投げてツーアウトでの降板になったが、この経験がまた福田を成長させた。

9月27日登録抹消。
7月に昇格してからずっと一軍のマウンドで奮闘してきたが、ケガをしていた公文の復帰に伴って左の中継ぎが加藤、宮西、堀、公文と揃ってしまったため、弾き出される形で抹消。

抹消されて以降ファームの5試合に登板した。
RPGのゲームのようにレベルの高い敵を倒した時には経験値も大きいのだろうか。一軍で各球団の大ボス級の打者との対戦は、彼のレベルも格段に上げていた。
ファームの打者に対する危なげないピッチング(5試合で自責点0)を見て
「あぁ、彼はもう二軍で学ぶことはないな」
と思った。彼にとって二軍は成長の場ではなく調整の場になっていた。それだけ数ヶ月の一軍生活で得たものは大きい。

10月20日に福田は一軍に再登録された。

11月7日。翌日からのフェニックスリーグ出場のため公式戦をあと1試合残して抹消。2020年の福田の公式シーズンが終了した。
30試合に登板し、防御率3.26。
一軍で投げる実質1年目のシーズンで防御率3点台というのは上出来だろう。今シーズン、ファイターズの選手の中で一番成長したのは福田かもしれない。

「プロに入ればドラフト順位は関係ない」という意見もあるが、やはりドラフト一位とドラフト最下位では立場が違う。与えられるチャンスの数も違う。
ドラフト下位は数少ないチャンスをものにして、居場所を作っていかなければならない。今季の福田はチャンスを掴み、ブルペンの一員としてしっかりと土台を築いた。1年だけの活躍では認められない世界だから、来シーズンが真価を問われる正念場になることだろう。
来シーズンも一軍で投げ続けることを、そして3年後、北広島に新球場ができた時に同じ道産子の玉井や伊藤と一緒にブルペンを支える柱になることを期待しながら、今シーズンの活躍を喜びたい。

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