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メンヘラ.Part.4月

ヨルシカのライブ良かった。

・半分この月
・ひとり
・クソデカ感情



・半分この月

「半分こにしよう」と言われる度僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。人の顔色を伺いながら生きている生物には、なんとも言えない感情を感じることがある。
半分こというものはこの世で僕が1番と言ってもいいほど嫌いなものなのだろうな、夜空に浮かぶお月様みたいに僕は器が大きくは無いから、こんな事ばかり思ってしまうのだろう。僕の小ささを実感する

自分は文章を書くのがとっても苦手だ、箇条書きでもなく、話し言葉の様でもある、気持ち悪い書き方だ。読みにくく、つまらなく、ゴミを詰め込んだような裏側の配線みたいで、死にたくなってくる。
なぜ昔からやらなかった?
文章を書けない日本人など死ねばいい。と
自分に対しては思っている。
他人には強要しないが、自分には強要するのが自分の悪い癖だ。
そうやって自分を追い込んで、くらい文章ばかりを書く。
自分の半分は自分を苦しめることしか考えていない
産まれてくるんじゃなかったと100回は自分に対して
言っては、悲しい気持ちになって、死にたくなって
逆に楽しくなって、また悲しい気持ちになる。
人に攻撃せずに、優しくなれたのが一番の誇れるところだ。誰にも迷惑をかけずに死にたい。


・ひとり

昔から僕は壁に向かって話しかけている子供だったらしい、今思うと気味が悪いが、今もあまり変わらない。
ずっと頭の中で音楽が鳴っている、他の人は鳴っていないと聞いたのは高校2年生だった。
自分を攻撃する言葉が聞こえないと言うのはとても幸せそうだな、自分を誇ることも、褒めるやり方も忘れてしまった。誰から何を言われようと相手の本心ではなくお世辞のように聞こえてしまって、相手のことを思うよりも自分を攻撃することしか考えていない。小学生の頃からの癖というものは抜けないらしい。永遠と自分は他人の顔色を伺っているのだろう、酷い癖だよ、死にたくなるよ。

自意識過剰な人が羨ましい。誰かが僕のことをほめていようと、僕の頭は他人が褒められていると錯覚し、空にとじこもる。自分の事など世界は絶対に興味が無い、必ず要らない。絶対に要らない。
友達のためにギターを買って、自分が死んで、友達が使ってくれる、そんなエピソードを考えて、自殺は怖いから他殺を願って。死にたくないなって考えながら、頭の中ではお前なんか居なければ良かったと輪唱の様に言葉が続いていく。もっと生きやすくなりたかった。


・クソデカ感情

友達に対して、僕はとんでもなく重い感情を押し付ける。僕は友達が少ないので、まぁ今のところは大丈夫なのだが、やきもちやら何やらをやく。普通に気持ち悪い。
しかし最近は無くなってきている、他人に興味がどんどん薄れているのか?それとも僕という存在が昔より大きくなっているのか?後者ならばとても幸せだ、他の人は他の人になっているということは
いいことでもあり、それと同時に、とても恐ろしいことである。
他の人を攻撃するような人間になりたくない
たとえそれがコミュニケーションと呼ばれるゴミみたいな言葉だとしても、僕は人を傷つけるような人間になりたくない。良い奴でありたい、友達以下でありたい。恋愛なんて相手のことを考えていたら出来るわけが無い物だ、当たり障りのないつまらない奴でありたい。相手のことを考えないで自分の感情を押し付けて駄々を捏ねているようなゴミ以下の何者かにはなりたくないね。
一生独り身で死にゆくのなら、何かを残したい。
なんて考えてはいるが、僕の言葉ごときが残るはずがない。ゴミが生み出すものは、ゴミ以上にはなれないのだ。



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