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【俳優覚え書き】南河内万歳一座『漂流記』

先月出演し、アーカイブ配信も終了した南河内万歳一座『漂流記』についての、俳優としての覚え書きです。
稽古場や本番で思ったこと、感じたこと、目標とその振り返りなど。

南河内万歳一座『漂流記』
作・演出 内藤裕敬
日時 2022年11月1日(火)~6日(日)
会場 一心寺シアター倶楽

【出演】
鴨鈴女 福重友 鈴村貴彦 松浦絵里 市橋若奈 寒川晃 有田達哉 内藤裕敬(以上 南河内万歳一座)
にさわまほ(安住の地) 松本薫 丸山文弥(劇団阿呆船) 吉岡莉来(1345:弱くて何が悪い!)


●振り返り① - 過去の自分の演技から離れる


南河内万歳一座さんの作品に出合ったのは、大学生の時だった。

実際に舞台を拝見したことはなかったけれど、所属していた学生劇団で『唇に聴いてみる』という戯曲を上演した。
私は俳優として参加して、ガンマン1(床屋)という役を演じた。

その時はとにかく、大きな声を出せばいい、早いテンポで台詞を言えばいい、オーバーにリアクションすればいいのだと思って演じていた。
ハイテンションな戯曲の雰囲気を表現するのに、それが最も適した方法だと思っていた。


だけど、今回は、過去の自分の演技から離れようと思った。

「やっていて気持ちいい」と「観ていて気持ちいい」は違う、ということを、7年間の間に学んだから。
大きな声を出して大きくリアクションをすること自体は簡単で、でもそれをやったが最後、何かが達成できているような気持ちになってしまう。

ひとまず、自分が作品の中でどういう立ち位置であるべきかを探りながら取り組もうと考えた。


●振り返り② - 自分がしっくりこないと思うことは辞める


とりあえず、一座の皆さんのお芝居に染まろうとするのではなく、一旦自分の思うところを貫いてみようと思った。

力を抜いて、構えずに舞台上に立つこと。
どんな声の大きさでも、台詞が聞き取れるように発すること。
やっていて不自然な力みを自分で感じることは、やらないこと。

場面のテンションに乗っかると、声も動きもどんどん大きくなっていく。
そこで安易に乗っかってしまわないよう、自分で「今のリアクション、ちょっとわざとらしかったな」と感じたことは次から辞めるようにした。


今振り返ると、頑なになりすぎた部分もあった気がする。


常に手探り状態で演じて、キャラクターが定まらないまま稽古に臨んでいた。
定まらないなりに、色々な演技を試してみたつもりでいたけれど、試す範囲自体が狭かったかもしれない。


●振り返り③ - 共演者の演技の影響


自分の中で演技が一番変わったタイミングは、舞台の本番が開けた後だった。

物語が終盤に差し掛かり、少しシリアスな展開になったところで、私が演じる役「サラ」が桃の缶詰を差し出して台詞を言う場面。

その桃缶の台詞は、できるだけ気負いなく、あっさりと言うようにしていた。
軽やかな雰囲気のラストシーンへとつなげるために、重い空気をなるべく引き摺らないように意識しながら演じていた。


しかし、本番三日目くらいの時、同じ場面で共演していた方の演技が変わった。
それまでギャグシーンに沸いていた客席が静まり返るほど、ぐっと感情の入った演技だった。

その演技を見ていると、今までの言い方では桃缶の台詞は言えない、と思った。
重さと真剣味を増した空気を引き継いで、あっさりとではなく、サラ役が必死に状況を打開しようとしているような語り方に変更した。

エモーショナルな演技は、自分の感情に酔ってしまわないように安定して届けるのが難しい。
それでも、この作品にはこの感情の流れが必要だったのかもしれない、と後から気づいた。


それもきっかけになり、四日目以降はより素直な演じ方に変わっていった。

力まないようにとセーブするのを辞めると、表情も声も幅が広がったような気がした。


最後まで安定しないまま模索し続けた公演だったけれど、普段とは違うカラーの作品に出演できたことは自分にとってかなり貴重なことだった。

不慣れな現場や作品にどう取り組むか、正解と言えるものには出合えなかったので、次の機会にもまた模索を続けたい。

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