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新・科学するオカルト

令和4年現在。世はまさに、大デジタル時代。そんな中、TLに吹いた運量についての一陣の風。なんかめちゃくちゃ面白かったので、ギリギリありえそうなオカルト論を探したいじゃんねということで、だいぶおふざけながら、ギリギリありえそうなオカルト論を語ってみたいと思います。

まず、念ずることでツモを変えられるでしょうか。残念ながら、自動卓でも手積みでも、牌山は既に積まれているので、誰にも気付かれずに既に積まれた牌山の牌を入れ換えるためには、①時を止めその間にツモ牌をすり替える、②周囲の人間に鏡花水月のような幻覚を見せる、③どこになにがあるかを透視したうえで、2つの牌を瞬間移動させる、④世界を再構築するといった能力が必要になります。そんなもん、ディオ、愛染、ゴレイヌ、プッチなど、能力バトル漫画のラスボス級の能力なので、これはまあ、さすがに無理っすよね。

それでは、「運の良さ」的なステータスはあるんでしょうか?
運の良さを認める場合、運がいい人は、配牌やツモ、和了や放銃の抽選において、他者よりも良い結果を得やすくなるということになりそうです。
うーむ。それって、一人の人間のステータスが、世界の構成(牌山の積まれ方など)に影響を及ぼすことを認めるわけですよね。一人の人だけ考えるとちょっとありそうかなとも思うんですけど、一人の人だけがその運の良さのステータスを持っているわけはないので、これを認めてしまうと、少なくとも、地球に存在する60億人の運の良さが、日々干渉しあって世界の構成が決まっている、否、別に人間に限られたステータスではないとすれば、地球上の生き物全部の壮大な運量バトルが常に行われていて、日々世界がどう動いていくか決まっているみたいな話になっちゃう気がするんですよね。もしかしたらいつか、かつて原子の概念が発見されたように、運量を司る運子みたいな概念が見つかる日が来るのかもしれませんが、やはり、今の自分にはその考え方の船には乗れねーなって思ってしまいます。残念ですが。

でもね、俺はまだ、「勘の良さ」という砦が残っていると思うんですよ。
これは、「運の良さ」のように、その人が世界の構成に影響を与えるみたいな話ではなくてですね。たとえば、親の第一打で白發どっちか切って残した方が重なる確率みたいな、デジタル(視覚情報とそこからの合理的な推測)では差がない選択について、意識的にせよ無意識的にせよ、なんらかの要素を判断して、確率よりも高い率で当てられる人がいるんじゃないかなって、実はちょっと思ってるんですよね。
コインを投げて表裏を当てるゲームを100万回やった時に、52万回当てられる人と48万回しか当てられない人がいて、両者の間には、確率の偏りとは別な、勘の良さというステータス上の差があるんじゃないかなみたいな話です。
どうでしょう、これならまだ、存在証明もされてないけど、不存在の証明もされてないんじゃないかみたいな、ちょっと夢見れそうな気になってこないでしょうか?(笑)

そんな話。

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