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麻雀プロの存在ってなに?

 

 7才でマージャンを覚え、18才で競技デビューし、27才でプロになった私は、50年近くこの摩訶不思議なゲームと向き合ってきました。
 でも、いまだに分からないことだらけで、マージャンの輪郭をなぞっただけの知識しか持ち合わせていないことに気づかされます。だから麻雀に対して色々な楽しみかたがあっていいと思う。

・手役が好きで好きで、アガれなくたっていいから、色々な手役を狙って楽しむタイプ


・ドラが好きで好きで、組み合わせを作る際、その中心にいつもドラを考えるタイプ


・アガることが大好きで、点数の高低にこだわらず、とにかくアガリ一直線のタイプ


・相手が驚くような待ちを作ることが大好きで、「エッ?!」という表情をされると、たまらなく嬉しくなるタイプ


・相手のやっていることを推理することが大好きで、自分がアガることより、相手の当たり牌を止めることに喜びを感じるタイプ

・残りの山に何が眠っているのかを推理することに心を砕くことが好きで、「ホラ、山にあった!!」と悦に入るタイプ

・リーチをかけてさえいれば安心安心、ととにかく早くリーチをかけ、場を支配することに至福の喜びを感じるタイプ

 まだまだ楽しみかたは尽きぬもの。麻雀愛好者の皆さんの嗜好に口を挟むつもりは毛頭ありません。


 でも《プロ》は違うだろう。

 趣味の域から出て、自身の打ち筋を白日の下に晒し、愛好者の皆さんの評価をお金に替えていく存在なのだから。
 
 ⑤⑤⑥⑦⑧⑨⑨223344 ドラ二

 東1局の親で4巡目にこんな手をテンパイしたとき、『即リーチをかけない道理はない』と言い切る《プロ》に、愛好者の皆さんは果たしてどのような評価をするのだろうか?


 いや、どのような対価を払うのだろうか?と言い換えたほうがいいかもしれない。

 近ごろ、《プロ》たちの会話から『それは損だろう』とか『それは得だろう』というフレーズがかまびすしく聴こえてくる。

 如何なものか?


 愛好者の皆さんから羨望の眼差しで見られる存在たる《プロ》が『損得勘定』で自身の思考を語る姿は《滑稽》 以外の何ものでもない。


 《プロ》は《夢》を売る存在であり、愛好者の皆さんを《現実》 に引き戻す存在ではない。
 東1局から


 一二三四六七七七②②345 ドラ5

 親だからという理由だけで6巡目に放たれるこのリーチに、何人の愛好者がお金を払って観ようと思うだろうか……?

 《プロ》は愛好者の皆さんの想像や思考を遥かに超える打ち筋を魅せていく存在であり、その《麻雀脳》は底知れぬものであるべきだと私は思う。

 ちょっと打てる愛好者ならばすぐにわかるであろう『損得勘定』や、慣れてくれば中学生にだって即答できる『効率計算』を前面に押し出す《プロ》は、もはや《プロ》としての存在価値を失っている。
 
 最近の風潮は目に余るものがある

 『温故知新』を実践し、単純明快に計算できない部分への思考を深めていく努力をしなければ、《麻雀プロ界》は滅亡する。

 常にその警鐘を鳴らす存在として、私ももっと思考を深め、進化し続けなければ!と燃えている次第。というわけで、この連載は戦術論ではなく、土田浩翔の日々の思いを書き連ねております。少しでも私の思いが皆様に伝わればと思います。どうぞよろしくお付き合い下さい。


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