日本麻雀百年史 その3

麻雀営業の原点は麻雀教室だった

  大正3年(1914)、第一次世界大戦勃発。一兵卒として出征していた平山三郎は、中国・青島で日本軍とドイツ軍の攻防戦を目撃。日本軍による三日間にわたる猛攻撃の末、青島が陥落した。
    
  このとき平山は、参謀長山梨半蔵陸軍少将を乗せた車を運転し、ドイツの総督ワルベックが待つ海軍ホテルに向かった。

  その後、青島で数日滞在した折、中国人の住居区に入り、初めて麻雀なるものを見た。 
  中国・青島で麻雀を習得した平山三郎が、ひと組の麻雀牌を日本に持ち帰ったのが大正4年(1915)のことだった。平山は関東大震災の翌年、というから大正13年(1924)、東京・芝に麻雀教習所「南々クラブ」をつくった。これは今日風にいえば、有料の麻雀入門教室のようなものであった。
     
  これが、わが国における最初の麻雀営業形態といわれている。

  平山は、その後、銀座五丁目の数寄屋橋近くに進出するのだが、そのころの心境を次のように書き遺している。

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