マガジンのカバー画像

日本麻雀百年史

18
本誌編集主幹、西野孝夫が記す、日本に伝来した以降の麻雀実録。 伝説の連載となったこの記録がnoteで再登場!
運営しているクリエイター

#麻雀の伝来

日本麻雀百年史 その8

麻雀ルール 統一と変革の時代
  大正末期から昭和初年、麻雀が日本に入ってきた当初は、
    三家払い
    小副計算(サイド計算)
というものがあった。今日から見ると、不合理で矛盾したルールにおもえるのだが、本場の中国がそうであるから致し方ないように思われていた。

  三家払いというのは、アガリに対して放銃者ひとりが払うのではなく他の二人も払うというもので、麻雀が伝来した当初はともかく数年

もっとみる

日本麻雀百年史 その7

東西融合の対抗戦は続いた
  このルール問題で東西間のしこりはさらに深まったようであるが、それでもなお断絶状態にいたることはなかった。この時期の麻雀指導者には、大きな対立点があってもそれによる断絶状態、あるいは孤立主義を避ける良識が残されていたようだ。
 
  東西融合のための対抗戦は、まだ続いていた。その年の夏、第四回東西対抗競技会が東京で行われた。

  前年度負けた大阪側が、東京に出向くこ

もっとみる

日本麻雀百年史 その6

【第二章】 日本麻雀連盟の設立と日本麻雀の創案 

東西の会議が物別れに終わった
  昭和2年(1927)、東京の空閑緑が浜尾四郎子爵、長尾克をともなって大阪を訪れた。これを迎えたのは、熱海三郎、全徳信治(このとき大阪新聞総務課長)、ほか三名の大阪麻雀人。
 
  空閑たちの用件は、「東西一堂に会して麻雀連盟組織化」の提案だった。中之島の中央公会堂の小会堂で三時間にわたり論議を交わしたが、この折

もっとみる

日本麻雀百年史 その5

日本の寧波は鎌倉

  二、三の文献では、鎌倉派雀士の研究心旺盛な活動については述べているが、その来歴について記したものはない。ただひとつ手塚晴雄だけがその来歴、そもそものところを『南は北か』に書いている。
 
  東京・神楽坂のカフェープランタンに出入りする前の時期である。

  大正13年(1924)、鎌倉海浜ホテルの香川支配人からこの地に古くから在住している寺木定芳に誘いがあった。

 

もっとみる

日本麻雀百年史 その2

記録に残る日本人最初のプレイヤー
   三つ目のエピソードである。
  麻雀史に造詣の深い法政大学・江橋 崇教授によれば、日本人で最初に麻雀をした人物は、中国に留学中の松本清司だったという。

――日本人で最も古く麻雀をした記録を残しているのは、松本清司『支那百題』に収録された彼の学生時代の日記である。明治40年9月23日、雨降りで暇をもてあました松本は中国人たちと「打牌」をして勝った。

  そ

もっとみる