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「まひる野」2022年9月号特集「歌壇の〈今〉を読む」(書評特集)④

    米川千嘉子『雪岱が描いた夜』評

 あざやかな社会批評   広坂早苗


 二〇一八年から二〇二一年までの作品を収めた第十歌集である。平成から令和へ移り、コロナ禍の始まりと拡大、情報技術の進化などが社会や人心を変化させたこの時期ゆえか、あるいはこの間に還暦を迎えた作者自身の年齢ゆえか、生きてきた時代と自身を振り返り、社会のあり方を批評する歌が多く見られる。もともと米川は、時代や社会へのシャープな批評を持ち味としているのだが、この歌集においても知的なまなざしは随所に届いている。

昨夜(よべ)放火二件あり 青葉の雨の降る今夜も腫れてこころはあらむ
前後に子を乗せる自転車がつしりと「たたかふ母」を比喩とおもはず
スーパーに来る老人に棲んでゐるたくさんの死者スーパーに来る
「AIが承ります」とクロネコ便取りに来たのはまだ人間なり


 一首目、放火犯ばかりでなく、世を恨む気持ちはこの社会のあちこちに潜んでいることを言う。「腫れて」という表現がひりひりする心を言い当てて秀逸である。二首目は、幼児を育てる母親の奮闘に共感する一方で、子育てがかくも困難な(だから少子化が止まらない)、社会の有り様に疑問を呈している。三首目は高齢社会の一コマを歌う。家族や知己ら多くの死者の記憶を支えに生きる老人は、あの世とこの世の境界を生きているようにも見える。そんな老人たちの孤独を思う歌。四首目は「まだ人間なり」に小さな安堵が潜む。依頼の電話をかけてもAIに応対される昨今、やがて物品の配達や回収も人間が行わなくなるだろう。変わりゆく生活への驚きと不安が歌われている。ここに挙げた四首は、いずれも社会への鋭い批評がベースにあり、読み手を刺激する作品である。
 コロナ禍の社会や生活を歌った歌では、次の作品が印象に残る。 
 
コロナ大題詠大会はいつ果てむあたらしき題はだれが与へむ
ある地層からあらはれむ繊維片 夏の布製マスクは暑し
〈往昔(そのかみ)のフェミニズム〉とは言ふべしや 声うばはれて自死の女(ひと)増ゆ
廃業のレストランに椅子積まれをり逆さに吊られし鹿たちの足


   一首目にはどきっとした。昨今の歌壇はまさに「大題詠大会」、皆がコロナを歌いながら、深みや痛みに届く作品が少なかったのではないだろうか。今やウクライナ危機が「あたらしき題」になっているが、題詠大会で終わるのは残念だ。二首目はマスクの歌としては抜群におもしろかった。今の世は「マスク層」として遠い未来に発掘されるのだろうか。三首目、コロナ禍で女性の自殺が増えた。非正規雇用や家族ケアの問題が背景にあると言われるが、元々弱いからまず傷むのだ。作者は同じ女性として心を痛め、憤る。四首目は「鹿たちの足」の衝撃が強い。ここにも作者の痛みと憤りが感じられる。これら四首もまた、あざやかな社会批評として心に残る。
 紙幅が尽きてしまったが、この他にも好きな歌がたくさんあった。

湯豆腐を食べればだれかわがうちに温(ぬく)とく坐りまた去るごとき
カルガモやコサギと夫はどうちがふ風に顱頂(ろちやう)を吹かれて黙る

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