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時評2024年6月号

新聞歌壇のことなど

 三月、「note(ノート)」というインターネット上の媒体に、永汐(ながしお)れいという歌人が「新聞歌壇の話をします」という文章をアップした。これは新聞歌壇に投稿している永汐が、これから投稿を始めようとしている人や、現在投稿している人たちに役立つ情報をまとめ、Q&A方式で綴ったものだ。応募方法や「筆名の使用は可能か」といった基本的なことから、投稿に関する悩みへのアドバイスまでが、丁寧かつ冷静に書かれている。初心者にとってはありがたい情報だと思うし、投稿を卒業して久しい私にも学ぶところが多かった。たとえば「Q 新聞歌壇に短歌を投稿することのメリットは何ですか?」に対する「強度の高い・一首で光る短歌を書く練習になります」という回答は、どうしても連作単位での発表が多くなってしまう現状で、案外重要なことのように思う。ちなみに永汐がnote内にアップしている新聞歌壇の掲載記録を見てみると、ほとんど毎週のようにどこかの新聞に歌が掲載されている。努力の跡が伺えるし、歌自体もとても良い。

  冷凍庫に詰める生ごみ生きててって言われたあとの深夜の散歩

 永汐はこの歌で東京歌壇(東京新聞)の東直子欄の年間賞に輝いている。
 新聞歌壇と聞いて「レベルが低いのでは」と考える人もいるかもしれない。実際にそういう発言を聞いたこともあるし、私自身、新聞への投稿はただのステップに過ぎないと思っていた。では、まひる野に寄せられている歌はどれほどの出来なのだろうか。新聞歌壇の作品よりも遥かに優れていると言えるのだろうか。胸に手を当てて考えたいところだ。
 永汐の歌を見てもわかる通り、投稿で研鑽を積んだ歌人の歌はレベルが高く、最近の新人賞でも活躍が目立つ。たとえば第三十五回歌壇賞受賞者の早(はや)月(つき)くら、昨年の短歌研究新人賞を受賞した平安(ひらやす)まだら、昨年の角川短歌賞佳作の永井駿、第五回笹井宏之賞で大森静佳賞に選ばれた中村育。個人の努力や才能はもちろんだが、東京歌壇の東直子や、読売歌壇の黒瀬珂瀾、毎日歌壇の水原紫苑といった、現役の新人賞選考委員であり、若手からも信頼の厚い歌人の存在が、大きく影響しているように思う。結社よりも自由度が高く、なおかつ信頼できる選者に歌を見てもらえる新聞歌壇。今の時代にマッチした実践の場、と言えるのかもしれない。
 では「結社」とは何なのか、ということをやはり考えてしまう。結社については総合誌などで頻繁に論じられており、昨年は本誌でも特集が組まれた。そうした動きは、「短歌ブーム」の中で短歌結社が存在意義を必死に探り、どこか焦っているようにも見える。
 ここ数年、自分が結社にいる意味がわからなくなっている。生業と、総合誌などからの仕事で手一杯なところに結社の原稿がくると、生活がままならなくなる。休日が消え、短歌に向き合う時間も、やりたいことに割ける時間もなくなっていく。大変なのは私だけではないとわかっていても、ただ字数を埋める機械のようになっている自分がいる。
Q あなたにとって、理想の短歌の「場」とはどんなところですか?
(北山あさひ)