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28歳借金貧乏男が借金を始めたキッカケ

どうも28歳借金貧乏男のまひろです

私は23歳の時、将来の夢である芸人活動をする為の上京費用で人生で初めて金融会社で30万円借金しました。
その後26歳の時、芸人に費やす経費で約25万円
更に27歳の時、脱毛サロンの解約金の高額請求により約15万円

返済を繰り返して現状61万円の借金を抱えて生活をしています。
※ギャンブル・風俗等は一切してません。

因みに私は現状、フリーターで一人暮らしです。(芸人業はほぼ皆無)
借金を抱えてる分際で生意気ですが凄く人生楽しいです。


今回は上記にも少し触れましたが借金を始めたキッカケについて細かく語らせて頂きます。


前回の記事では借金した理由について

『芸人は借金してる程面白い』
『DJ社長に憧れてる』

とお伝えしました。

今回は

『芸人は借金してる程面白い』

これらも細かく紐解きます。



まずは芸人業の養成所を通う為に大阪で一人暮らしを始めた19歳〜22歳を振り返ります。

当時は浪費癖が激しい生活でしたが親からの仕送り+当時お付き合いさせて頂いてた彼女からの援助費用(要するにヒモ)があったお陰でバイトも週1〜2程度で成り立ちましたし借金なんてする必要も無かったです。

現在私は節約をテーマにしたYouTuberとして活動もしていますがその面影は当時に一切無い程のクズ生活でした。

周りに恵まれてただけでこの環境が無ければ私はこの時期既に借金を抱え込んでてもおかしくなかったと思います 笑


しかし仕送りやヒモ生活は勿論長くは続かず、全てのツテを失った頃に私は上京を決意します。


23歳の代になり上京して上京費用は必死にアルバイトで稼いで貯めれましたが私は考えが甘過ぎて上京して以降の生活費が0という事態に引越し後に気付きました。


完全に盲点……というより誰でも気付く事ですよね。笑

しかし当時の私は周りから助けもあり生活費をまともに稼ぐ事すら理解出来てなかったのでこの様な自業自得な事態を起こしたんだと思います。


そこで私が取った行動はまず大阪でお世話になった先輩に片っ端に連絡してお金を借りました。
先輩方も優しいので数名の方々が翌日には私の口座に振り込んで頂きました。
その額は約10万円です。

しかし10万円でも引越し後の生活維持費は足りません。

フリーターでもあり下積みの芸人として上京しましたので生活維持費に加え芸人としての活動費用が必須になるのです。

芸人活動費用と言うのは下積みの芸人は活動するのも実費になるのです。

当時の活動費用で言うと月3万円でした。

新しい環境でアルバイトもすぐ見つかる訳も無いし10万円じゃ足りないと思った時にふとある先輩芸人様の言葉が思い付きました。


『芸人は借金してる程面白い』

です。

テレビでも有名芸人様が口にしてる姿も私は見た事がある程この言葉は芸人にとって一般常識でもあると私は認識してました。


その言葉で背中を押されて私は金融会社にお金を借りる事にしました。


借金した金融会社はレイクとプロミス

借金という言葉は経験し無ければ酷く哀れな言葉に聞こえると思います。

実際に私も借金する前はその感情でした。

初めて金融会社のホームページから問い合わせて禁断のカード(金融会社のカード)が郵送で送られて来た時は手が震えたのを覚えています。


しかし震えたままで終わると私の上京生活がそこで幕を閉じるので急いでコンビニATMへ向かいお金を借りに行きました。


因みに借金を2社で行った理由は各金融会社で借りれる上限額の兼ね合いです。

私は絶対にそんな要らないのに余分に30万円借りたいと思ってレイクに20万円(上限額分全部)とプロミスに10万円借金しました。


コンビニATMで身に覚えの無い20万円の束が受け取り口に現れて天罰を食らったらどうしようとか謎の被害妄想をコンビニ内でした事を今でも覚えています。


このお金を大切に使おうと心に誓いましたが私は上京前は周りの援助で生活し節約なんてほぼしてこなかったので遊ぶお金としても使用しました。


なんせ自分で稼いだお金じゃない訳なので感覚がおかしくなったんです。
なので借金した金融会社・大阪時代お世話になった方々、総計額40万円の5割遊びに使いました。
遊びはマッチングアプリで知り合った女性とのデート費用とコンビニ飯と外食です。


タイムマシンがあったらこの頃の自分を殴ってる…どころか会いたいとすら思わないです。笑


それくらい当時の感覚はバグってました。
お金の使い方が荒いのと並行して性格も荒くなっていました。


そんな無責任な生き方をした私はお金が無くなり焦って飲食店でバイトを始めてコツコツ返済しました。

バイト自体は上京して1ヶ月で始めてましたが当初は社会を舐め過ぎてたので当日欠勤ばかりして稼げてなかったです。

危機感を感じでちゃんと働いたのはそのバイトを始めて約3ヶ月後です。
よくクビにしないで店に残してくれたと感謝してます。
そして性格を改めて労働を頑張りました。

毎月の規定の最低返済額は12000円

これらを支払っても6割は利子で持っていかれますのでなかなか減りませんでした。


それでも当たり前ですが当時は週4〜5 平均10時間労働を繰り返し約3年後にはレイク・プロミス大阪時代お世話になった方々から借りたお金は無事完済しました。

40万円で3年もかかるとは…
今考えても恐ろしいです。笑
因みに毎月最低返済額のみでの返済でした。
余分に多めに返済しとけばもっと短い期間で完済が出来る人もいます。


これで借金生活終了……かと思いきや更なる借金生活が始まります。


理由はコロナ禍が始まり半年が経った時に私はDJ社長様に憧れを持つ様になったからです。
DJ社長様とは多額な借金を自ら抱えに行ってでもやりたい事をやってきた行動力化け物級の天才の方です。


DJ社長様は今でも憧れの存在です。

次回は第2の借金をするキッカケとなった

『DJ社長に憧れてる』

について語らせて頂きます。


最後まで読んで頂きありがとうございました。
このアカウントでは借金貧乏男の私生活をありのまま振り返る事をしています。
興味・関心を持って頂けたらフォローしてくれるととても嬉しいです。

今日も私は生きてて『幸せ』でした☺️
やったー٩(*´︶`*)۶

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