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友達ではなく知り合い

ここでは、先日の投稿「友達って何か。」の内容に関わる一つのエピソードを振り返ってみる。(読んでいない方は、そちらを先に読むことを勧めるといい。)大学時代に活動した全日本ろう学生懇談会(以下、全コン)のある出来事である。

 全コンについては、「情報収集の学びを得た場所」で説明している通り全国各地から集まる会合でもある。また同じ学生であるわけだか、生い立ちの背景は様々なものであり異なる人との出会いも新しく生まれるのである。(読んでいない方は、そちらを先に読むことを勧めるといい。)         

その出会いは、私にとっても新鮮な経験でもあり、またこういう人がまだまだ色々なところにあるんだという発見を学ぶわけである。視野が広がった感じの衝撃を受ける日々であった。実に聾学校で束縛していた世界から出ると面白い発見があるということは、私だけではなく卒業したみんなも少なからず、経験してきているはず。と考えて以下の経験を聞いていただきたい。

本州のある学生さんをHさんとする。Hさんは、ろう学校育ちであり高校は一般高校だった。しかし、大学ではそのギャップに悩む。ろう学校育ちでは手話で主に受けていたために全コンが悩みを解決できる自分の生きがいを感じるような場所と受けている学生である。

Kさんは私と同じ役員として一緒に活動する中で、一足先に早くHさんとつながっており、仲良く話をしてた関係である。ある機会をきっかけに私とHさんをつないだ「知り合い」といっておく学生である。KさんもHさんと同じ生い立ちであるが、ろう学校のことをあまり良いイメージではなかった。きこえる世界に合わせるようなタイプであった。

この3人のやりとりを見ていく。(以下、私・H・Mの3人の中で使われる台詞は、リアルな再現に近い形で書いていることに留意する。)

K「Mくん、(私)Hさんとは私の友達なんだけど、会ったっけ?」

私「あーまだ会ったことないような。名前と顔が一致するの慣れていないので。そのHさんは、昨年参加していたのかな?」

K「いや今年、初参加なんだ。ぜひ交流してもらえばと思って連れてきたんだ。」

私「あーそうなんだ。ぜひお会いしたいですね。」

(ある夕食タイムにて)

私「さっき、言っていたHさんってちょっと時間作れなくて声掛けできなかったんだけどどこにいるか知っていますか。」

K「あっあぁ。(お互いに役員として動き回っており、疲れていた一息のところで交わしていた)うっかり忘れていたね。初参加だから、あまり話せなかったかもしれないね。えーっとどこだろう・・・。」

(夕食タイムとは社交パーティーのように立ち回りで食事するスタイルである、参加者同士が動き回って交流する時間である。この時間は、運営委員も参加者と交流できるように作る機会でもあった。)

K「いた!Hさん!どう?楽しんでいるかい?友達作れたかな。」

H「Kさん!お疲れ様です。はい、楽しいですね!こういう場所良かったです。あのーそちらさんは?」

私「はじめまして。Mといいます。北海道から来たんです。2年前からここに参加するようになっていてその時にKさんと一緒に活動したんです。」

K「彼、北海道から来ているように全国から集まっているでしょ?」

H「あー北海道なんですが・・わざわざ・・。(当時、格安飛行機LCCは少なく北海道と東京はお金がかかり、遠いイメージであった。)初めまして。私、Hといいます。よろしくお願いします。」

私「Hさんとは仲良い友達なんですね。」

K「仲良いというわけでもないんですが、最近仲良くなった知り合いってかな。意見など色々面白い人さ。」

H「いやいや面白くはないでしょ。笑!そうですね。たまたま出会った友達です。支部の企画でお会いしてからよく話す友達ですね。」

私「あっ、そうなんですね。(心の中で・・・知り合い?友達?ってなんかズレているような。。)」

ここでのやり取りを見てわかるように第一印象のことを「友達である」「知り合いである」という言葉が出てくるわけだか、その時の私は生い立ちを知らなかったので気にしていなかったが、後に生い立ちを知る会話があってお互いのことをよく知ると、あの時の第一印象が私にとって不思議な疑問を抱えたことがあったのである。

 ろう学校育ちである私は、当時誰かもみんな「友達」呼ばわりしていたのでこの会話のやり取りも「友達」として同じように感じていた。しかし、一般高校を経験しているKさんのように「友達」ではなく「知り合いである」と言われると同じろう学校育ちであっても、彼にとって「友達」というイメージは違っているんだなと聞いて感じたわけである。

 ろう学校で経験していることが良くなかった印象を持っている方にとっては、出会った人たちのことを「友達」と意識しないことも納得できるわけである。強いて言えば、年に一度しか会えないこの一大イベントで初めて出会う者同士に自分が簡単に「友達である」と紹介するのは変である。出会ってまだ日が浅いのにまだ新しく出会った人に対して、「友達になった●●」というのも微妙である。

 「友達」という意識については、先日の投稿で紹介したトリセツであると考えたときろう者の世界では、このような機会が多いので私は気を付けて会話している。

初めて出会う人に「この人は友達である。」と説明しておくのではなく、「何度かお会いしている友達である。」と分かりやすく抽象的なことばで補足した方が適切だと考えている。また語彙力が賢い人や一般高校育ちなどきこえる人に対しては、「知り合いである。」とはっきり伝えることも悪くはないと考えている。

 第一印象で仲良くなっているんだなと思われても実はそうでもなく、ほんの数回程度で会話した関係であるとしたら、何にも知らないで迫っていくのはおかしい。交流する機会で少なからず「この人面白い人だから友達になりなよ。」と勧めること多く耳にするが、簡単に受けるべきじゃないと思う。

自分は「友達」だと思っていてももしかしたら、相手は「知り合い」として見ているかもしれない。

 ということを私は常に意識している。きこえる世界では特にこの意識を感じることが正しくなることもあった。ある副業では、「友達」ではなく全てが「知り合い」である程度で接している。だから上手く続かなかったわけである。バイト先にあるYさんとの経緯もそうである。

 これは、「道徳」の授業や自立活動の中できちんと児童生徒に考えてもらうように指導することも大事だと考えている。きこえる文化ときこえない文化では、異なることの異文化理解も必要な指導であるということをろう学校ではまだ知らないこと多いわけである。ろう学校は、きこえる文化を基本的として指導しているので「違いを考える、気付く」という社会経験が浅いために大学時代でこのような経験があったことは良かったと思う。自分の学びを一人でも多く知って頂ければ幸いである。