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人事の闇

この時期は、企業・学校それぞれにおいて人事異動が待ち受けている。人間それぞれのお別れと旅立ちであるのは毎年恒例である。学生だけではなく、大人も人事によっては、慣れた職場を離れなければならないということがある。

でも離れることによって、新しい学びを得てさらに成長する、視野が広がって自分に合った活躍が出来るというのも一つの過ごし方でもあり、人生の生き方であるということだろう。これは良い方向でもある。

 しかし、すべてが良い方向に進むというわけでもないのだ。人事次第によっては、悪い方向に行くこともあれば、人事その時にズルく生き残ろうとするという闇もあるわけだ。

闇を言い換えれば、都合よいことかもしれない表現だとするけど、人事異動の中でも人間それぞれの家庭や個人的事情が入ってくるというわけである。今の日本では申し訳ないが、昭和ながらの古い考え「年功条例型」というのが強いられている風潮は残っている。特に教育行政である。

 ベテランの先生は長く居続けているために怠慢さも実際に起こっているのだ。若い先生は短期間で異動を繰り返し受け入れなければらなく、慣れてきたところでまだ一から新しく経験を積むというところは経験豊富なベテランよりはとても大変な歩みでもある。良い方向に進むという考えというのが古い伝統的な経緯であって、私にとっては意味ない。もうこれからは、環境適応という指導機会の充実や研修の工夫などの配慮が大事なところではないかと。この持論は、私だけではない。一部の教員養成系大学や私立学校またはIT企業かも提唱されているのと共感である。国や政府もその提唱に沿って、新しく議論し始めているようだ。令和型教育が人事面において、どのようになっていくだろうか。

 また経験を積んでいない方も家庭事情などを理由として、働く場所を希望して考慮するという背景もあって異動することもなくずっと残ったりする。そのため、怠慢さや姿勢が偉くなったかのように当たり前だということで新しいことを吸収しない。努力しない姿勢が目立つことは表現を言い換えれば、悪く印象付けるということだ。教育行政にはもう少し、人事異動の仕組みそのものを根本的に見直ししておくと同時にもう少し厳しく管理づけるべきな課題は多いと指摘しておきたい。家庭事情ならば、家庭に対してどのような優遇などの配慮をして、働きやすいような環境にするべきかということも考える必要がある。

 最近、働き方改革といって色々と改善しようとしているわけだか最初にとても重要なのは人事異動である。そのため、改善しても誰かが元通りにしてしまうということもあり得るわけである。系統性と継続性というのも一つの課題である。

とここまでが人事にあるある話であるが、ここからは私の実際起きた事実の話を記述する。長くなるため、次回に持ち越していくつもりである。ぜひ後日に述べる「自殺に向き合う過去」を読んで頂きたい。(※3月31日予定)