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当たり前だと思わないで!

実に高等教育機関に進学する聴覚障がい学生は年々、増加する傾向にある。私が大学時代から分析しても増えているしそれだけではない。教育を受けることで必要な合理的配慮における環境整備も変化していることが伺える。以前だったら、「大学進学って厳しい。」「お前に大学は無理だ」という一方的な否定感という思考がもはや「大学に行ったほうがいい。」「大学でも頑張れることはある。」というように当たり前に変わり、きこえる学生と同じスタートラインに立てることの社会変化がある。合理的配慮という教育環境の整備は、非常に面白いテーマとしてYouTube動画「高等教育における合理的配慮〜聴覚障がい学生の一歩〜」を配信しているので、ぜひ視聴して貰えば幸いである。

 ここでは私の経験談を合わせてお伝えしているが、これを聾学校現場で直接伝えることの機会はあまりないだろう。ほとんどは就職する卒業生の話を聞く機会であって、大学進学する学生の話を生徒に早めに伝えることで進路決めの大きな選択肢を残しておくということを聾学校ではあまり積極的に取り組まない。むしろ、多くはオープンキャンパスや進路相談会というだけで終わることが多い。だから大学進学のイメージって高校生から見ると不安要素を抱えることは多い。勉強をもっとしなければならないきっかけがない限り、大学進学に興味を持つことは難しい。

 最近知ったことだか、かつて所属して活動してきた全日本ろう学生懇談会の現役学生が聾学校に赴いて交流会を開き、そこで生徒たちに大学進学について伝える場を作るということの取り組みがある。これはとても良い取り組みでありかつ、全日本ろう学生懇談会はそれだけではなく全日本ろうあ連盟と一緒に国へ要望を出すことの行動も頑張っていた。実に経験者だからわかるけど、やっぱりこのような気付いていることを実際に行動に起こすということは大切なことだと彼ら現役学生の努力を讃えたい。

現役学生の気持ちをしっかり讃えるだけではなく、やっぱり教員になった私たちにもしっかり学校側がこのように取り組むように準備していかないと、子どもたちの選択肢の豊かさや社会を知る機会を教えるということは不十分ではないかと考える。その一つとして身近なのは、「合理的配慮」を知ることである。この言葉は、卒業後の社会に多く聞かれることであり障がい者ゆえの当たり前な教養であったほうがいい。

 分かりやすくいうと、きこえない人に車の運転免許は認められなかったという厳しい差別は、職業選択の幅を狭くしていたという苦しい過去がある。しかし現在は、当たり前のように運転ができ、職業選択も色々ある。でもまだまだ出来ない職業もある。パイロットやクレーン操作などの建設業など、当たり前ではないところも多くある。そこに合理的配慮の理解さが関与しているのだ。ということを考えていく力が求められる。

これが聾学校の自立活動においても最も重要な障がい認識の一つであって、かつ教科指導どこでも共通するものだと私は、経験上このように挙げる。

【国語】→日本語の意思疎通には音声が聞き取れないから、手話言語を学ぶ。でも社会では口話だけではなく様々なコミュニケーションツールを使う必要がある。そのために何か必要か。
【社会】→きこえない社会人はどのような方法で生活していたのか。歴史を知り、その上で生活場面において音代わりに何を使って過ごすのか。という生活に必要な力を考える。
【情報】→タブレット端末など普及している社会において、自分がどのようにして連絡を取るのか。情報モラルを学習するだけではなく、音声言語代わりに使える様々な機能を知り、場面に応じた使い方を幅広く持たせる。
【家庭】→コロナ禍でオンラインショッピングやデリバリーなどがよく目立つ社会において、電話対応だけのところがある。ここで自分はどうやって買い物をするのか。またトラブル対応が電話だけだったら、どのようにして伝えるべきだろうか。という生活場面に対応する力を考える。
【技術】→非常に便利になっている機械などが多くある中で、本当に便利なのか。結局、音頼りになることは多い。では音、音声を視覚化するために何が必要なのか。ということの考える機会を与え、自立する生活で大事なことを学ぶ。

 というようによく考えていけば、あれこれと色々とあるはずだ。これが聾学校で勤務するきこえる教職員にはなかなか思いつかないかもしれない。きちんと子どもたちと関わる機会やきこえない社会人との関わりが豊かでない限り得られる情報は少ない。そのために何を指導していけばいいのかという経験値のある教科書はない。教科書は、地域社会のつながりをもっと積極的に関わってもらう必要があるべき。と私は考えるが、消極的なところが多くみられる。

昭和以前のきこえない子どもたちには、聴覚障がい教職員のロールモデルといった存在が強く、手話で学ぶことが恵まれていた。だからきこえない社会(ろうコミュニティー)ということを身近で知ることで、社会経験を学ぶ環境であっただろう。(詳しくは、YouTube動画「北海道における聴覚障害教職員の歴史」を視聴してほしい。)しかし、現在はロールモデルの存在となる聴覚障がい教職員を積極的に尊重しつつ活用した学校づくりといった実績は少ないのが残念である。

 最近よく聞く「デフフッド」や「ろう者学」ということもあるが、まだまだ当たり前のように認識している社会ではない。一刻も早く認識して当たり前のような社会になってほしい。少し脱線してしまったが、結論としてやはり聴覚障がい学生にとって大学進学にあたるには、「合理的配慮」を学ぶことをしっかり進めていただく必要であろう。