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2020東京オリンピック回顧。

パラリンピックも感染対策と海外からの関係者への歓迎の気持ちを忘れずに(挨拶)

まず、回顧の前提として。
五輪の開催における効果というのは、以下の5つに分類される。

1) アスリートのパフォーマンスの享受
2) 開催国の国威発揚
3) 参加国の国威発揚
4) 開催地のインフラ整備
5) その他観光面などの経済効果

アスリートのために。

結論からすれば、この中で対外的な意味で最優先なのは「1を実現する」ことであり、2~5は刺身のツマに過ぎない。それが「アスリート・ファースト」というべきものではあろう。
そして、1年でも間を開けることは比較的競技者にとってはかなり難題であり運命を変える(内村航平や瀬戸大也はそのワリを喰らったと思われる一方、開催前から可視化されてた池江璃花子の出場は言うに及ばず、橋本大輝や開心那の活躍などは難しかっただろう)ものだと思うと、と2年オーバーでは「事実上の中止」くらいのインパクトがあったことは容易に想像できる。
そこを思うと、「東京2020」として開催できるタイミングは、今年しかなかったのではないか、とも。

我々にとってのオプションとしての「東京2020を中止する」は、必ずしも「開催権を返上して金輪際五輪を行わない」みたいなものでは無かった。
パリだって本朝以上のコロナ禍の混乱はあったから準備におけるダメージはあり、2024の開催権を本朝に与えてスライドするという議論はあり、それに乗っかった上で日仏或いはアメリカまで巻き込んでIOCと交渉をする余地はあっただろうと思われる。
もしかしたら、2020年前半のように欧米でのコロナ禍が「惨状」レベルである間にそうした辺りを持ち掛けていれば、「中止して、本来の形で確実に開催できるタイミングを2024~32の何れかに設定する」方が、政治としては賢明だったかなと言われたら、あながち否定は出来ない。

しかし、我々は歴史として「その手を取らなかった」と自負する資格を、この2021年に開催することで得た、とは言えるのだろう。ある程度我々は、国家の威信のアピールや経済効果として損を出しても「アスリートが競演する場を失わない」ための場を提供したのだ、と物語っても良いはずである。

世界の国々のために。

冒頭で、「開催国の国威発揚」と「参加国の国威発揚」を敢えて併記した。五輪という「ゴッタ煮のスポーツイベント」、すなわち「メジャースポーツよりも高い確率で、得意分野の種目が世界的な注目を浴びる性質のイベント」を開催することは、ある程度その国家を認知する好機になることは間違いなく、五輪に出場する小国の代表は「自分の国を少しでも知って欲しい」というのは、大なり小なりモチベーションとはなるケースが多いであろう。
一方で、五輪批判の際に「開催国の国威発揚」は語られても「参加国の国威発揚」については語られない。
ただ、「国威発揚なんてロクなもんじゃないんだから、アンタらもそういうのは卒業したら?」みたいなのを先進国なり大国なりが他国に押し付けるのって、それこそ個人的には鼻白む姿かな、という思いもあり、それだったらそういう機会を維持しつつ、こっちも野球とか空手とかちょっと得意なスポーツねじ込んでメダル稼がせてよ程度のスケベ心で競技拡げてって方が、ある種の健全なWin-Winかなとも。

そして、コロナに苦しんでるのは我々だけではなく、エンタメが制約を受けてるのは小国でも大国でも関係ないという程度にこの災厄は大概の国に拡がってしまっている。そうした中で、リスクを取ってもそうした人たちに励みとなる「威信」を供給して我々もそういった活躍を見せて貰えることは、そこまで悪くは無かったのかな、とも。

ゼロに近いけどマイナスにはならなかった国威

割と、今年の春になって欧米では「コロナ禍が終わりかける」瞬間があった。ワクチンが普及したらそれに連れて1月の感染拡大の低下と相まって死亡率が低下し、スポーツイベントなども大方通常のカレンダーに戻り、アメリカのNFLもNBAも大リーグも欧州のUCLも、客席の入りは徐々に上がっていた。

確かに、プロスポーツはオリンピックとは違う。
ある程度一元管理が効きやすいし、ちょっとしたクラスターで中止となっても日程の柔軟性はそこそこ担保しやすい。また選ばれたプロの数は、五輪の10000単位という頭数よりは明らかに少ない。管理負荷って意味では余程ラクには違いないだろう。

とは言え、現実にアイツらがやってて、こっちがやらないって、説明付くか?というのはあるでしょ、確実に。
他の国が「当たり前のように出来てる」ことが「日本だから出来ない」というナラティブに持ち込まれると、それが如何に理にかなってると説明しても、そこは覆すの難しいよなぁ、ということは、この時期ずっと感じていて、「だから五輪やるぞ!」みたいな意気込みよりも正直プレッシャーの方が大きいところはあった。
あっちもEUROとか終わってからδ株とかで感染拡がったけど、恐らく国外からしたら「五輪中止」は理解できない選択であるフェーズは結構あって、そこで中止の判断をしたら、対外的な文脈での国の威信って意味ではマイナスにしかならなかっただろうな、と。

一方で、だったら開催したらプラスだったというと、そうではなかったというのは、やはり「観客を入れなかった」から。
「コロナを乗り越えた証」まで言い切って結果として観客を入れられなかったのは、単純に言ってメチャ恥ずかしいことには違いなかろう。アメリカとかで五輪の視聴率が下がったのって、そういう「観客が居ない」状況が単純にイケてないからってのが大きいとは思う。
また、開閉会式がイケてなかったとすれば最大の原因はソーシャルディスタンスと無観客によるムード形成の制約でもあった。
しかしそこは、最終的には已むに已まれぬ判断とは言え、ギリギリで安全と折り合った上で自らの判断で捨てたもので、逆に「意地を張って感染状況ガン無視で客入れ開催をする」みたいな判断を取って内向きに国家としての正統性を更に毀損することがなかったとも評してもいいのかなと。
何れにせよ、そうした「中止しない」「客入れしない」という、恐らくは場当たりの判断は、どこかで「開催国の国威」というパラメータにおいては「プラマイゼロ」となる調整として総括されるとは思う。

経済効果はアテが外れたけど。

そもそも、2019年までのインバウンド拡大って「五輪があるから」だったんだっけというお話もあって…。
ただ、ホテルとか恐らく開催期間中に結構なボッタクリは出来たんだろうなみたいなことは思ったりはするので、やはりそれが無くなったってのは少なからず痛恨ではあったよね(この辺りは年初辺りに海外からの客入れを打ち切った段階で確定していたお話)
…はサテオキ、割と今後の支障となるとするならば、五輪を通じての「攘夷ムード」的なものがあり、例えばIOCの会長みたいな人徳のある人がそういう面で色々とインパクトを与えていたみたいなお話はあったけど、そこが総じて事後の印象としてあまり「ガイジンのせいで色々と」みたいなムードが現状は緩和されてる辺りは、ちょっと安心してるとこというか。無論、今後の「祭りの後」で、やっぱあの時のガイジンが…みたいな感覚は出て来ることはあるのかもというリスクは残るけど、ボトムラインとして「海外に我々をアピールする」よりも、コロナ禍の文脈で排外的なムードが広がらないことの方が例えばインバウンドの今後って面では重要なのかも。

インフラ面では、恐らく「新しく整備した何か」よりも「古いものを更新する」みたいな要素が強く、それは概ね2020年初頭の段階では済んでいたという意味では、コロナあんま関係ない部分。
どっちかというと、競技場以外の要素でそうした更新の「踏ん切りをつけさせた」ことが意義となるのだろうけど、そうした中でむしろ競技場文脈では微妙に「古い建物が残っちゃった」辺りは思ったりも。それこそ、東京体育館とか五輪のサブトラック問題とか出てきたときに、そこ潰してサブトラックにしたらよくね?みたいなことは思ったのだけれど。
あと、野球なんかもぶっちゃけ東京ドーム建て替えとかはこの五輪で出来たんじゃないかな~、とかは。

コロナ対策との両立。

この辺は、ワクチンとか変異株の要素があって、予見的に行動するのが極めて難しかったなという感慨。春の段階でワクチンが開幕段階で40%程度一回接種が行き渡ればまぁ何とかなるかなという印象は持ってて、実際政府サイドでもそういう数字は出ていたっぽいけれど、まぁ結果としてδ株に持ってかれました、という感じで、でも恐らくこれは接種率が60%でも変わらんかったなという印象も。
逆に、今の段階で東欧みたいにδ株の影響が低い地域の話とかを見ても「何が正解でそれが来てないのか」がさっぱり分からない辺りはどうにかなりませんかねというか、そもそも世界で「δ株を抑えるメソッド」がまだ微妙に見えてない感じで…。(余談だけど、なぜか台湾の感染鎮静化において「δ株を抑えた」って都市伝説見ることあるけど、あそこの感染ピークはδ株ではなかったのよね)

やはり、緊急事態宣言を年初に出した段階で、「これ五輪開幕前までずっと続けるやで、覚悟せえよ」と言い切るくらいが正解だったのかなという、正月くらいの思い付きが後知恵的には思うところかな。逆に中止ないし2022までの延期を持ち掛けるにしても、この辺りが最終ラインではあった、と言えるのかも。
個人的に政府の対応全般としては、基本的にある程度「未知な相手」の対処だけに対応も場当たりになるのは致し方ないところはあり、「場当たりだ」はコロナ対策批判としては当を得ないものだというスタンスだけれど、ここの「最終判断のライン」に関しては、「残り半年で一貫してやる・やらない線」を、五輪開催を前提にするにしても中止を前提にするにしてもフリーズするというリーダーシップが要求されたのかな。

復興五輪という意味では。

個人的にはその文脈では、やっぱり出だしの福島のソフトボールとかは客入れ出来ればなぁ、というのはあった。宮城は一応頑張れただけに、あの時点の福島もそれは不可能ではないとは思われたのだけど。
最終的にソフトボールの結果が良い帰結となっただけに、そこは惜しまれるとこでもあったか。
ただ、今回ちょっとしたメディア村の出来事として、コンビニサンドをアップした記者に対してNYTのライターかなんかが「放射能っぽい」と言ったら叩かれて結果gdgdと言い訳して取り下げるに至った経緯とかは、割と「復興五輪」的な方向が認められた事績としては評価されるかな、とは思ったり。
言わば、本朝を放射能をネタにmockすること自体が、現代においてはnon-ポリコレであるというコードが通った、という意味で。
これは、10年経ったからこそでもあり、またコロナ禍においてアジア差別の深刻さが欧米社会のアジェンダとなったという辺りが動機となった作用ではあるとも思うのだけど、反面、やはり「五輪という場」でそれが可視化されたことは、ひとつ銘じておきたい、ささやかな事案ではと。

日本選手団

過去最多のメダルというのは、開催国としてある意味約束された成果で、その文脈において「勝ち過ぎたとも負け過ぎたとも言いづらい」とこはあったと思う。実際、ホームアドバンテージってのは無観客でかなり削られた一方で、バブル管理により異国でギチギチに管理されるストレスは国外の選手においてより厳しいもので、そこの収支決算がほぼトントンだったというお話なようにも。

サーフィンやスケボー、スポーツクライミングは新設競技で、新設だからこそのメダルチャンスをモノにした面はあり、今後海外でもコンペティティブな強化を行っていったときに長期的な強さを維持できるかは微妙な感覚はあったりする。その反面、X-Sportsというジャンルにおいて本朝が意外な強さを持っていることは、それが例えば今世紀に入っても例えば國母和宏のように世間で叩かれていた経緯などを思うとなかなか「確かな地力」であるようには思われ、その意味でインスパイアリングであったには違いないのかな、とも。

一方で、アーティスティックスイミングや新体操、飛び込みなんかは、結構頑張って強化した足跡が見られたものの、現代における競技の地盤を替えるには至らなかったのかなという厳しさもあったか。

むしろ、その辺りの「半端に新しい競技」よりも、フェンシングやアーチェリー、馬術といった古典的なジャンルでの好成績が、インパクトとしては強かったか。ただ、今回は逆に金メダルが取れ過ぎたせいで、アーチェリーとか馬術って達成度の難しさに対してあんま注目されてなかった辺りで、今後の競技人気を伸ばすって意味では、ちょっと難しさはあるのかも…。

レスリングやボクシングは、指導層とのゴタゴタが事前に可視化された競技であったが、結果としてはそのゴタゴタを上手く乗り越えられたなという印象。ただ、最初から有能な井上康生率いる柔道の成果とかを見ちゃうと、東京に合わせるならもうちょい早くにその変革が出てれば、もっと良い結果に繋がったのかな。

個人的なサプライズは女子バスケ。
そこまでフィジカル的にメタクソに強くなった訳では無いと思うしエース選手を欠いたという条件で、何か欧州の強豪を振り回してやっつけてしまい、見事な決勝進出。最後もアメリカの巨人グライナーにいいようにやられつつ、破綻はしなかった。
今後これを継続するには、ある程度八村渡辺的なエリート選手がNCAAとかで経験を詰めれば…みたいな話にはなるのかなぁ。

気候ガチャ

トライアスロンがうまいこと雨を避ければ(水道の仕組み的に)前評判ほどの惨状にはならないのではないか、という見立てはあったが、むしろサーフィンの「台風が来た方が面白いし、実際あんま見られないチューブが来た」みたいなのがベタに面白かったですね。天候的には猛暑日みたいな有り得なさは期間中せいぜい2日くらいで、東京としてはまだマシだったのかな。
しかし、テニスみたいな時差考えたら真昼間の必然性がそんな無い競技で、ちょっと真昼間にやりすぎてたんでは?みたいなのは、率直に気になった。
あとできれば、ロンドンのツアーファイナルみたいな屋内の舞台も欲しいよね…。その他地味に大変そうと思ったのはゴルフ。もうちょい高地でやっても良かったのかも。

ベストモーメント順不同5選

・ソフトボール決勝、奇跡の5-6-4ゲッツー。運が左右したプレーには違いないけど、13年越しの競技でこれが決着をつけるという「運命の強さ」っぷり。
・競泳男子400m自由形、ハフナウィの8枠逃げ切り。距離のあるレースでマイナー国の選手があれよあれよと勝ち切るのは、競馬ファン的には刺さる痛快さ。
・スケートボード女子パーク決勝、岡本碧優を抱え上げる日本人・日系人メダリスト3人。岡本のラストトリックは本当に紙一重。その残酷さに胸を痛めた直後のあのシーン。
・自転車ロード男子、ファン・アールト対ボガチャルのタイヤ差スプリント2着争い。ツールでの折り返しからの見事な見せ場。素晴らしいコースも演出とはなったか。
・マラソン男子、キプチョゲ圧巻の勝利。何で明らかに苛酷になってるはずの条件で、リオよりも上回るタイムで勝てるんですかね…。スピードと暑熱の両方を支配する絶対性。

まとめ

五輪、準備期間が結構要求されるイベントな割に、その成果を刈り取れるのは大会当日になってから、みたいな辺りで、糞みたいに大会初日までのストレスが高いのはまぁ予想はしてたけど思った以上にキツかったですね。
しかし、この手元にあるテレビとPCとスマホを総動員しながら作業BGM的に競技を消費できるという時代に時差の無い五輪を見るというアクティビティ自体は、今までの五輪の「見方」を変える新鮮な体験ではあり、こういう風に楽しめるんだってのは、やはり一回自分とこで開催しないと見えてこないんだなと。
例えば、毎日のようにメダリストやメダル争いが見られる展開だと、もう表彰式もまともに見る機会はなくなるしましてワイドショーでのインタビューとかもスルーで、とにかく見られる時間は競技を見る、みたいなのは、自分としても「アスリートファースト」的な体験とはなったな、と。
この辺りは、自分のような熱量でなくとも取り敢えず五輪あるから見るくらいの人でも、かなり「競技本位」な観戦体験にはなっていたのかもと思いたかったり。
まぁ、次はパラリンピック。

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