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古代ガラスと手彩色写真、レアな企画展

 ガラスと写真は、文化生活に欠かせず、芸術表現の分野としても進化し続けている。その原初的な展覧会が滋賀と兵庫で催されていて興味深い。MIHO MUSEUⅯで春季特別展「古代ガラス―輝く意匠と技法」が6月9日まで、神戸市立博物館では特別展「Colorful JAPAN―幕末・明治手彩色写真への旅」が5月19日まで、それぞれ開かれている。絵画や彫刻、陶芸などの展覧会と異なり、レアな企画だ。まさに「百聞は一見に如かず」と言えよう。

 MIHO MUSEUⅯの春季特別展「古代ガラス―輝く意匠と技法」 《ファラオ頭部》など所蔵名品、23年ぶり一挙公開

 ガラスが宝石であった紀元前の時代の貴重な作品の企画展だ。エジプトやペルシア、中国、ローマなど、文明ごとに紹介していて、ビーズやモザイクガラス、カットガラスなど、多彩なガラス作品を目にすることができる。とりわけ世界で唯一とされる古代エジプトの等身大ガラス彫刻《ファラオ頭部 おそらくアメンホテプ3世(部分)》など、MIHO MUSEUⅯ所蔵の古代ガラスの美しい装身具や器など200点以上が、23年ぶりに一挙公開されている。

《ファラオ頭部》 (エジプト 前14世紀前半)

ガラスが発明されたと考えられるメソポタミアから東地中海沿岸では、3400年ほど前に、石をくぼめた型にいれて焼き上げた青ビーズや、粘土のまわりにガラス紐を巻いて器にするカラフルなコアガラスが作られた。
 古代エジプトにガラスが伝わった新王朝時代、エジプト王家はガラスを独占した。「ファラオ一族御用達」のガラス工房が宮殿内に存在し、王族でなければガラスを手にできなかった。ファラオであったツタンカーメン王の黄金のマスクには、青いガラスが象嵌され、墓には大量のガラス製品が納められていた。
 他にも古代地中海のコアガラス香油瓶やビーズの数々、繊細の極致であるモザイクガラス、色とりどりに銀化したローマンガラス、正倉院にも伝わったカットガラス、中国で瑠璃や玻璃と呼ばれた玉類などが展示されている。古代世界に広がる宝石に比類する驚くべき「ガラスの美」である。
その後、水晶のように透明なガラスを尊ぶ時代がやってくる。2400年ほど前に、インドの西側からエジプトまでを支配したアケメネス朝ペルシア帝国の宮殿では、宴会に透明ガラスの器が使われたと想像されている。それらは金属同様に鋳造で作られていた。
 時代が変遷し、ガラス技法は加速度的に進化する。モザイクガラス、カットガラス、垂下による造形、そして古代ローマ時代直前に、現在に続く吹きガラス技法が発明されるようになる。
 展覧会は、それぞれの文明ごとに、「古代エジプト ファイアンスと王家のガラス」「メソポタミアからエーゲ海へ ガラスの故郷」「東地中海の輝き アイビーズとコアガラス」「アケメネス朝ペルシアと周辺の国々 無色透明ガラスの出現」「古代中国 アイビーズと象嵌」「ヘレニズムからローマ時代へ 新技法オンパレード」「驚きのモザイクガラス」「ローマ帝国以降 日常のガラス器」「ササン朝ペルシアからイスラームへ カットガラスを中心に」「銀化の愉しみ」の10章で構成されている。
 主な展示品を画像とともに掲載する。まず目玉作品でもある《ファラオ頭部》(エジプト 前14世紀前半)は、ツタンカーメン王の祖父アメンホテプ3世の実物大ガラス彫刻で、現在発見されている古代エジプト最大のガラス肖像彫刻とされる。今日まで伝わっているのが奇跡的でさえある。顔の右側の額・頬・鼻が失われ、割れ痕から3度の打撃を受けたとみられている。全体が青い石灰ガラスで作られ、眼には黒曜石が嵌め込まれていて、神秘的だ。
 

《ファラオの横顔》(エジプト 前15-14世紀)《獅子頭形杯》(アケメネス朝ペルシア 前5-前4世紀)

《ファラオの横顔》(エジプト 前15-14世紀)は、新王朝を代表する美を表現。眉や目の縁取りが鮮やか。目の横から顎の下まで彫られた溝は付け髭を止めた紐を表現し、このことからファラオだと分かる。

《獅子頭形杯》(アケメネス朝ペルシア 前5-前4世紀)

 《獅子頭形杯》(アケメネス朝ペルシア 前5-前4世紀)は、底部にライオンの頭をかたどった欠損のない透明ガラス。透明ガラスは2400年ほど前、インド西部からエジプトにかけて支配したアケメネス朝ペルシア帝国の宮殿で催された宴会で使われたとされる。水晶のように透明なガラスが愛好され、その後にモザイクガラスやカットガラスなどのガラス技法が発達し、古代ローマ時代の直前には、今日に続く吹きガラス技法が発明されている。

《植物文ペンダントとロゼッタ文ビーズ》(エーゲ海地域 前14-前12世紀)

 《植物文ペンダントとロゼッタ文ビーズ》(エーゲ海地域 前14-前12世紀)は、ガラスを発明したとされるメソポタミアから東地中海沿岸にかけての地域で作られた。この地では、3400年ほど前、石で作った型で焼き上げた青ビーズや、粘土の周りにガラス紐を巻きつけて器にするコアガラスなどが製作されている。

《切子装飾瓶》(イラン 9-10世紀)

 《切子装飾瓶》(イラン 9-10世紀)は、青緑色がかった透明ガラスを吹いて、カットを施し、成形した瓶だ。銀色の下に覗く青い「銀化」が出色。この時代、七色の色彩を呈する「銀化」現象を示したガラスの器が生まれ、色も形もさまざまなガラスの装身具や器など作品も多様化した。
 

《帯鉤》(中国 東周時代前 前4-前3世紀)
《長頸壺》(東地中地域 前3-前1世紀)
《碗》(東地中海地域 前2-前1世紀)
《ゴールドバンドツボ》(東地中海地域あるいはイタリア 前1世紀)
《マイナス》(エジプト 前1-後1世紀)

そのほか、《帯鉤》(中国 東周時代前 前4-前3世紀)をはじめ、《長頸壺》(東地中地域 前3-前1世紀)や、《碗》(東地中海地域 前2-前1世紀)、《ゴールドバンド壺》(東地中海地域あるいはイタリア 前1世紀)、《マイナス》(エジプト 前1-後1世紀)、《アラバスター文壺》(東地中海地域あるいはイタリア 1世紀)、《カメオ装飾杯》(おそらくイラン 9-10世紀)、《人頭形ペンダント》(地中海地域 フェニキアかカルタゴ 前5世紀-前4世紀)、《浮出し円文切子碗》(ササン朝ペルシア 5-7世紀)などが展示されている。
 会場では、国内と英国の工房に依頼して、古代ガラスの技法を再現した映像もあり、興味を引く。

《アラバスター文壺》(東地中海地域あるいはイタリア 1世紀)
《カメオ装飾杯》(おそらくイラン 9-10世紀)
《人頭形ペンダント》(地中海地域 フェニキアかカルタゴ 前5世紀-前4世紀)
《浮出し円文切子碗》(ササン朝ペルシア 5-7世紀)

 今回の企画展の趣旨について、主催者は「展覧会にならぶガラスの輝きと共に、それらを生み出した職人たち、そして器を愛でた各文明の立役者たちに、思いを馳せて頂ければ幸いです」と、呼びかけている。
 

神戸市立博物館の特別展「Colorful JAPAN―幕末・明治手彩色写真への旅」  絵付師の緻密な作業に驚く往時の写真展


 写真の歴史は浅い。紀元前のガラスに比べ、19世紀以降で、その後は急速に普及し文明に多大な影響をもたらせた。フランスのルイ・ダゲールによって銀板写真が発表されたのは1839年のこと。早くもその4年後、オランダ船によって、写真器材が長崎に持ち込まれた。今回の企画は幕末・明治期に撮影された初期のモノクロ写真に手彩色が施された写真と関連資料約150点を一堂に展示し、手彩色写真のもつ唯一無二の美を通して、時代を超えて人々を魅了する「JAPAN」の姿を紹介する趣旨だ。
 

 日本の開国後、幕末から明治時代にかけて、これまで交流のなかった諸外国の人々が、来日するようになり、未知の日本文化に関心が向けられた。そうした要望に応え、フェリーチェ・ベアト、ライムント・フォン・シュティルフリート、臼井秀三郎、日下部金兵衛、アドルフォ・ファルサーリ、玉村康三郎らの写真館では、日本の名所や風俗を撮影した写真を販売した。
 それらの写真はしばしば、1点1点精緻に彩色され、カラー写真と見紛うような「手彩色写真」に仕上げられて、豪華な蒔絵表紙のアルバムに綴じ込まれた。坂本龍馬の肖像写真はあまりにも有名だが、時代の要請に合わせて写真に色を付けたものがたちまち人気を博した。被写体の選定、巧みな構図と美しい彩色は、現実の日本そのものではなく、東洋の神秘「JAPAN」のイメージを作り上げていったのである。
展覧会の構成と主な出品作品(会期中、一部作品を展示替え、前期:~4月28日、後期4月29日~)を、プレスリリースなどを参考に取り上げる。
5つのセクションで構成されていて、まず【プロローグ】から始まる。展示場に並ぶ「色のついた写真」の多くが幕末・明治期の「手彩色写真」である。当時はまだカラー写真が実用化されておらず、花も木も着物の柄も髪の筋も、モノクロ写真を丁寧に手作業で絵の具を塗って仕上げている。

《〔女性の後姿〕》(明治時代、ピエール・セルネ氏蔵、通期)の彩色前(左)と彩色後

 《〔女性の後姿〕》(明治時代、ピエール・セルネ氏蔵、通期)は、彩色前のモノクロ写真と彩色後の手彩色写真を比較できるように展示。色を着けることで髪や着物の皺が際立たせられていることが分かる。また、帯の鮮やかな模様には筆運びの跡が残っている。
 

《A499「WYSTERIA VINE」》(玉村康三郎、明治時代中期~後期、ピエール・セルネ氏蔵、通期)

《A499「WYSTERIA VINE」》(玉村康三郎、明治時代中期~後期、ピエール・セルネ氏蔵、通期)は、江戸時代から藤の名所として知られる東京の亀戸天神で撮られている。藤の花と太鼓橋、朱塗りの楼門という日本的なモチーフがふんだんに盛り込まれた魅力的な作品だ。

豪華な蒔絵表紙の『神戸名所写真帳』
《693「PANORAMA OF RYOUNDO’S STORE, KOBE」》
(明治時代中期~後期、東京都写真美術館蔵、通期)

 次の【Ⅰ 手彩色写真の制作】では、手彩色写真を制作した写真家や、彩色作業に従事した絵付師について、実際の作業に使われた絵の具や器具などの関連資料とともに展示している。《693「PANORAMA OF RYOUNDO’S STORE, KOBE」》(明治時代中期~後期、東京都写真美術館蔵、通期)は、神戸の名勝地「布引の滝」付近にあった手彩色写真を売る写真館「凌雲堂」を、現存する煉瓦造アーチ橋「砂子(いさご)」橋」とともに収めた写真。凌雲堂では布引の滝見物に来た外国人に向け、写真の撮影や販売をしており、敷地内には休憩・撮影スペースに用いた庭があった。
 

《713〔シュティルフリートの絵付師〕》(明治時代、ピエール・セルネ氏蔵、通期)

《713〔シュティルフリートの絵付師〕》(明治時代、ピエール・セルネ氏蔵、通期)は、シュティルフリートの写真館にて、絵の具の入った皿を持ち、厳めしい顔でポーズをとる和装の男性。掛け軸や絵付けの資料と思われる和綴じ本に囲まれた机の上には写真が置かれており、彼が日本人絵付師であることを示している。

《116「WRITING LETTER」》(日下部金兵衛、明治時代中期、ピエール・セルネ氏蔵、通期)

 【Ⅱ「JAPAN」の人々】には、日本の人物、習俗を活き活きと伝える手彩色写真がずらり。鮮やかで精緻な色付けがなされた作品を中心に、制作者の意図を分析する。《116「WRITING LETTER」》(日下部金兵衛、明治時代中期、ピエール・セルネ氏蔵、通期)では、行灯の前に座る女性が手紙をしたためている。訪日外国人にとって、縦書きの文章は異国情緒を感じる要素の一つだった。周囲を落ち着いた色に、着物や座布団をパステルカラーに彩色することで、女性の存在感が際立っている。
 

《32「GENERAL」》(日下部金兵衛、明治時代中期、ピエール・セルネ氏蔵、通期)

《32「GENERAL」》(日下部金兵衛、明治時代中期、ピエール・セルネ氏蔵、通期)の 「GENERAL」は「将軍」を意味する。右手に「采配」を持ち威儀を正す、位の高い武将をイメージして撮影した演出写真だ。実在の武将より派手な衣装で、兜や鎧の紐、着物の柄の1つ1つに至るまで丁寧に彩色されている。

《2069「CHERRY BLOSSOMS AND JINRIKISHAS」》
(日下部金兵衛、明治時代中期~後期、東京都写真美術館蔵、通期)

 《2069「CHERRY BLOSSOMS AND JINRIKISHAS」》(日下部金兵衛、明治時代中期~後期、東京都写真美術館蔵、通期)は、人力車に乗る4人の女性の姿を捉えている。それぞれ異なる模様の着物で着飾り、傘を手に持っている。背景にある満開の桜と青空が際立って、カラーならではの効果といえる。
 【Ⅲ 「JAPAN」の風景】では、手彩色写真でよみがえる、幕末~明治の風景が出品されている。日本の風景を撮影した手彩色写真について、カラー写真であるかのように美しく彩色された作品から、当時の訪日外国人が特に愛着やこだわりを抱いた場所に興味を引く。
 

《A1205、B1205「KOBE」》(日下部金兵衛、明治時代中期、 神戸市立博物館蔵、後期)

《A1205、B1205「KOBE」》(日下部金兵衛、明治時代中期、 神戸市立博物館蔵、後期)《A1205、B1205「KOBE」》(日下部金兵衛、明治時代中期、神戸市立博物館蔵、後期)は、神戸外国人居留地の海岸通(現在の国道2号線の位置)を海から撮影した写真。海岸通には領事館や銀行、貿易商などの西洋風の建築が軒を並べており、海沿いには緑地帯が造成されて美観を誇っていた。

《1018「Dadutsu Bronze Image Kamakura」》
(日下部金兵衛、明治時代中期、東京工芸大学中野図書館、前期)

 《1018「Dadutsu Bronze Image Kamakura」》(日下部金兵衛、明治時代中期、東京工芸大学中野図書館、前期)は、蒔絵アルバムに収められた1点で、名所の「鎌倉の大仏」。外国人の行動範囲が開港地を中心とした徒歩区域に制限されていた時代、大仏を背景に写真を撮るスポットとして人気を博していた。

《2001「FUJIYAMA FROM OMIYA VILLAGE」》
(日下部金兵衛、明治時代中期、東京都写真美術館蔵、通期)

 《2001「FUJIYAMA FROM OMIYA VILLAGE」》(日下部金兵衛、明治時代中期、東京都写真美術館蔵、通期)は、散在する人家の奥に雄大な富士山を望む写真。タイトルの「OMIYA」は今の静岡県富士宮市付近を指す。立っている人々はカメラ目線で、偶然居合わせたというよりは撮影のためのエキストラの可能性が高い。

《〔太夫〕》(明治時代、ピエール・セルネ氏蔵、通期)

 最後は【エピローグ】。とりわけ美しく彩色が施された2点の写真を展示して、展覧会を締めくくっている。制作者に関する情報は無いが、明治の手彩色写真の逸品だ。《〔太夫〕》(明治時代、ピエール・セルネ氏蔵、通期)は、襟を返して内の赤色を見せ、帯を前結びにし、豪奢な髪飾りをふんだんに付けるという装いから、花街の妓女の中で最高位の太夫の写真と考えられる。上着と帯の柄はもちろんのこと、髪の1筋1筋、髪飾りの1本1本、内側に着ている衣にうっすらと見える地の模様に至るまで、極めて丁重な彩色が成されている。

《354〔能楽師〕》(明治時代、ピエール・セルネ氏蔵、通期)

 もう1点の《354〔能楽師〕》(明治時代、ピエール・セルネ氏蔵、通期)は、低い屏風の前に腰掛ける、面を付けた女性能楽師の姿で、いかにも日本風情。絵付け作業を感じさせない優れた彩色が施されている。

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