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【ロック少年・青年・中年・老年小説集】「中年からのバンドやろうぜ1…〈肥満とブルーズ、減量とロック④〉~プロディガルサン失意の日々1~」

Whoのワイト島1970のライブビデオを見て以来…
いや、正確にいうと…
ワイト島1970の映画のWhoの姿を見て、
ユキオは再びロックを聴くようになっていた。

ユキオは多少、高を括るところがある。
ロックは聴きつくした…
最後のステージの後、バンドをやめてから、
自分は十分にロックを体験し、
自分なりの容量いっぱいまでの情報を得た。
そう思っていたのだ。


しかし、映画でWhoのライブを体感し、
特にキースムーンの白く輝くエネルギー放射を見て、
考えをかえた。


まだ、自分はロックをまるで
深く理解しているつもりになっていただけだったと…
はずかしい気持ちがした。

もう、自分の聴きたいものが、
評論家にどういわれようが、
世間の評価が低かろうが…
ユキオは感情が赴くままに、
聴きたいものや出会った音に、
自分の感覚のままになるべく体感しようとした。

もう、単なる系統立てた知識のための音楽体験をやめよう。
そう、意識をかえたのである。


やっと…自分軸ロックに到達したともいえる。
今の自分は…たとえまぬけな感想でも、
おそらく、昔のかっこつけた無理して書いていた評論もどきよりも、
説得力があるように思った。


黒人音楽を崇めることもやめた。
もちろん、白人のロックもだ。
これまで好きだったものでも、
嫌いになったら聴くのはやめた。

そう考えるようになってから、
ユキオはかえって、
ロックをたのしく熱心に聴くものもあらわれたのだった。


日々が過ぎた…

ユキオは漢検1級を取得した。
その1年後に会社をやめた。
フリーになって…個人事業主として独立した。

しかし、本当のところは…
人間関係力の低さで、
会社にいづらくなって、
個人で請け負ったり、
派遣や委託業務に登録しただけの話である。

それでも、
なぜかユキオは幸運が続き、
数年で契約を打ち切られたり、
他の仕事を見つけたりで、
仕事はしょっちゅうかわっていたが、
キャリアアップという点では、
不思議といい仕事にありつけたのだった。

ある派遣会社経由で新聞校閲を経験した。
苦労はあったが、2年目からは、
戦力として信頼されるようになり、
ユキオのキャリアでも、大きな経験となった。

しかし、朝刊夕刊のローテーションは、
ユキオの神経疲労を拡大させ、
痩せたいという思いとはうらはらに、
ユキオの人生で最も体重の重い時期となった。

朝刊の終わった翌日の休日の朝、
ユキオは回転性のめまいに襲われた。
胃の中のものを吐き、
朝まで5回以上の連続性の長いめまいであった。

その恐怖は、たとえようもなく、
回転性のめまいの最中以上に、
いつまたくるのか?という恐怖のほうが、
ユキオにはきつかったのだ。

病院に行ったが、
めまい症と診断されるだけで、
一通りの検査だけで、終わった。

数日後、また回転性のめまいの発作がきた。
さすがに、耐えられないので…
大学病院に行った。

MRI検査の予約をしたのだが、
検査は1か月以上後…
冗談じゃない、
医師にかけあうが…決まりだからということだった。

めまいの対処療法としての薬をもらったが…
ビタミン剤と向精神薬のたぐいだった。
確かに、回転性のめまいの恐怖というより、
いつめまいが起きるのか?ということのほうが、
恐怖であった。
抗不安剤というのも無理はないのか…
しかし、不安なままMRI検査を待った。


新聞校閲をやめることを決めて、
派遣会社に連絡したが、
すぐやめられては困るということで、
後釜がみつかるまでと…
それまでという約束で、
約2か月以上まだ、朝刊夕刊ローテーションが続くことになった。


最初の発作の頃から、
頭がもうろうとして、
なにか違和感があった。

直観的にこれは寿命にかかわるのではないか…
そう思い、発作後すぐに減量を開始した。

いつも心のどこかで死にたいなどと思っていたように思ったが…
実際に死ぬと考えたときに、冗談じゃないと思った。

ユキオはなにふりかまわない減量を始めることになった。