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とーます模話のこざこざシリーズ 6「遠くへ連れていってくれる音⑤」

遠くへ連れていってくれる音を探していたってことは…
つまり、「自分からはなかなか遠くへ行けない」って
思っていたってことなんだよね。

「ケンとメリー~愛と風のように」だとか、
「どうにかなるさ」とか、
「シンシア」とか、
「翳りゆく部屋」だとかは、

小学生だった自分に、
ほんの少し、遠い世界がきっとあるって
誘ってくれるように響いていたんだよね。

そんなこと、誰かに話したって、わかるわきゃないじゃん。
そう思ってたし、

でも、どこかで、そんな広い世界には行けないんだろうって
諦めていたようにも思う。
とかいいながら、ボクはそれなりに、
子ども時代をたのしんでもいただろうと思う。

祭りにも参加したし、部活動もした。
やれる範囲で、たのしんではいたはずだった。
でも、〈遠くへ連れていってくれる音〉は
時々ぼくの元にやってきては、
ボクの心を焦がしてしまうのだった。

だから、中学3年でステレオを買ってもらってから、
〈遠くへ連れていってくれる音〉を
探し続けたのだった。

心が焦がれてしまう前に、
ボクは〈遠くへ連れていってくれる音〉を
自分で探し続けたのだった。

時には、
REMの「レディオフロムヨーロッパ」の中に、
ジョージャクソンの「ステッピンアウト」や、
ビートルズの「ディアプルーデンス」「レイン」
「ストロベリーフィールズ」
「オールトゥマッチ」、
キンクスの「シーマイフレンド」、
Whoの「マイジェネレイション」の最後の部分や、
「ネイキドアイ」
「グロウガール」
「ピュアアンドイージー」、
ポールマッカートニーの「メイビーアイムアメイズド」、
ボブマーリーのライブの「ノーウーマンノークライ」、
くるり「ロックンロール」「ハウトゥゴー」、
中村一義「魂の本」

などに乗って、
〈遠くへ連れていってくれる音〉は、
ボクを誘いに来てくれたのだった。

さらに、ボクは60歳を過ぎるまで、
〈遠くへ連れていってくれる音〉
を、たくさんたくさんたくさん聴いた。

しかし、ボクは、
〈遠くへ連れていってくれる音〉の向こうへ、
たどり着いてはいないのかもしれない。

もしかすると、
〈遠くへ連れていってくれる音〉は、
どこかの歌の歌詞にあるように、
〈1969年に切らしてしまったスピリット〉同様に、
もう、

「あなたにはこの音を聴いても、
もう遠くへ行くことができなくなりました」

ということなのかもしれないな。

失ったのかもしれないが、
少なくとも、
多くの〈遠くへ連れていってくれる音〉を手に入れて、
たくさんの時間を味わってきたから、

後悔はあまりない。
子どもの頃聴いたあの音のなぞは、
いま少しだけ解けた気がするし、
いまはもう、どうだっていい気もする。
気が済んだということなのかもしれない。

〈遠くへ連れていってくれる音〉は、
もう自分の中に存在していて、
探さなくてもよくなったのかもしれないな。

〈遠くへ連れていってくれる音〉が、
自分の中にあるのなら、
音がきこえなくたって、
ボクは自分で遠くに行くことが
できるかもしれないよね。

そうだね。
ボクは、自分の意識で、
遠くに行くことが、
できるかもしれないよね。