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信仰たる感情とは

……仰々しくなった。


私にはさながら宗教のように、信仰そして崇拝している男性キャラクター同士のカップリングがある。あまりにも信者と化しているせいで生きづらいくらいだ。
こうやって吐き出せば、自分の感情が少しでも可視化されるのでは?と思ったので、現状をまとめてみようと筆をとる。




カップリングとの出会い


私がそのカップリング(以下、ABとする)に出会ったのは、数年前に前のジャンルで騒いでいたときだった。当時好きだったジャンルの雰囲気と似ている、といった理由から手を出した某アイドル育成ゲーム。元から腐ったオタクではあったので、大まかなキャラクターを掴んだあとは、まず大手のCP(以下、ACもしくはCAとする)を漁った。…が、ピンと来なかった。何故だろう。かなり…萌える要素があるのに……?
不思議に思いつつも、それならと公式の過去ストーリーをひとつ読んでみた。

……

………


あ、違う。それじゃない。これだ。A×Bだ。


自分が一番驚いていた。ABにも好きになる要素はあったが、なにぶんAとCに比べたら公式の燃料が少ない。少なすぎる。何ならギスギスしている。
読後慌てて調べに走ったが、ジャンル人口の割にマイナーな方のCPだった。それでも、「同志はいるんだ……!」と感動していた。
ちなみにABにハマったのが現ジャンルにハマるきっかけだったので、現在進行形で人生を狂わされている。


沼へ、そして解釈を探る旅へ


そんなこんなでどハマりしたAB。最初は公式の情報を得るところから始めた。「できるだけ公式に準拠したオタクでいたい!」という謎のエゴを持っているので、公式の情報から少しでもすれ違った妄想及び二次創作などできやしない。(まぁBLである時点で公式からズレているが……。)
スマホゲームのストーリーを読むのは不慣れかつ苦手で、全て読むのには苦労した。今では些細な情報は抜け落ちているだろうし、別に全て読む必要は無かったようにも思えるが、そこは気分の問題なので置いておこう。
距離感やらやりとりが不穏で焦りつつ、時間軸は現在のものへ。最終的に仲直りし…たんだろう!そう思おう!!(明言されていないのでちょっと不安だ。示唆されているから大丈夫と信じているが)

さて。読めば読むほど…その……ACが大手です。私は頭を抱えた。これはリリース時から最近に至るまでのストーリーで言えることだが、そのふたりの会話やスキンシップは、腐媚びではないかと邪推するくらい距離が近い。お互いへの愛情も描かれている。というか実際しばらくはACもCAも見ていた。悔しい。
それでも…と、ちまちま二次創作を描き始めた。ただ、自分の中での解釈とは?と二転三転し続けた。
それもそのはず、最初はBを推していたのが、いつの間にかA推しの人間になっていたのだ。私だけなのかオタクという生き物に共通するものなのかはわからないが、推しが誰なのかによって見える世界は変わる。作品という世界を誰の視点で見るかが変わるのだろう。
而して、推しは無意識に右に置く自分。最初はBの可愛い姿が見たいなどとほざいていた私であるが、推しがAになってしまった。可愛いAが見たい…。それでも……変わらずABがいい、BAではないと描き続けた。その過程で、「A受けもいいな…いやこの男は受けでは?」と、CAを始めとするA受けも見始めた。何なら少し描いた。SSも書いた。需要があるかもとインターネットの片隅に残してある。あれは正直負の遺産だ………。
話を戻そう。Aは見た目こそかっこいいのだが、内面を鑑みるとかなり中性的、どちらかというとやや女性的な面のあるキャラクターである。あくまで個人的な考えだが。反面、寧ろBの方が男前な性格をしている。見た目はすごく可愛らしいキャラクターなのに。どちらともそのギャップがあるからこそ好きになったとはいえ、だからこそ思い悩んだとも言える。今はBLも多様化が進み、攻めのような受けや受けのような攻めも珍しくない。リバというジャンルもある。そもそも攻め受けを男女にそのまま置き換える必要は全くもって、ない。
ただ……それまで築き上げてきた“攻め”、“受け”に対する固定観念を覆すのは容易ではなかった。同じ理由でリバも苦手だ。
最終的には、「好きなもんは好き!しょうがねぇ!」という結論に至った。自分の中ではやはりABしか考えられなかった。


至った解釈、同志との間に感じる溝


と、なってからも、ABに対する解釈はさらに二転三転する。というのも、ABへのハマり方は今までに好きになったBLのカップリングとはどこか違った。
今までのBLのイメージとは、いわば“エロス”。愛を土台として、官能的な雰囲気の作品を楽しむ。そこに愛があればどれだけ欲望に忠実でもどれだけ暗く絶望的な話でも好きになった。
対してABは、“ふたりの世界”が好きになった。愛し合うふたりの仲睦まじい様子、幸せそうな姿。そこに重きを置くのだ、エロなど以ての外!……といった様な。

それまで推しCPが長続きした試しがなかった。
その違いこそがABを好きでい続けられる所以だと思った。
そして。少しづつ『信仰』が生まれていく。同時にいつしかABの相手違いも許せなくなっていく。


ふたりは幸せでなければならない。

幸せは続かなければならない。

ふたりの関係を形作るすべてを変えてはならない。

過去は過去、未来はない。目を向けるなら未来でなくてはならない。

“愛”こそが最も大事なものであり、付加される要素はあくまでおまけでなければならない。

性欲をぶつけるような、そんな作品を作る対象にしてはならない。

“攻め”と“受け”といった役割は付随するだけにすぎない。

Aと、C。彼らは恋愛には発展しえない。


……己に課す制約が生まれた。
それ以外は許せなくなった。
その制約に反する者ばかりの界隈に絶望を感じた。

解っている。これは人に押し付けるものではなく、自分の中でのみ存在する制約だ。でも。

過去に囚われている人ばかりで。
性転換など根本を揺るがす二次創作が好きな人ばかりで。
闇の深い話が好きな人がいて。
ふたりの情事を望む人が多くて。
攻めだから、受けだから……。

何となくしんどくなってしまって。
あんなに恋しかったはずの同志が、鬱陶しくて仕方がない。
SNSのタイムラインを眺めるたび、心が苛まれていった。


そもそも、制約なんて必要ないのに。
二次創作である時点で、余程のものを表に出さない限り自由だ。
わかっている、わかっているんだ。
それでも制約が己を縛る。信仰するならば、この戒めを破ってはならない、と。

加えて、それを差し引いても、自分の好む作品は界隈の人たちとは少し合わない。何を描けばいいのか、何が好きなのか、段々わからなくなってしまって。何を描けばいいのかもわからなくなった。

この考えを無くすために、最近は己の創作物に対しては意識しない努力をしている。


信仰する程の熱意はやがて己の“常識”へ


ここで少し本題から外れよう。
この記事を書くのに何日か要していたのだが、その間に気づいた。

───激しい感情の起伏を感じない。簡単に言うと、“萌え”を強く感じない。

どういうことだろうと思案し、今までの経験を元にひとつの結論を導き出した。


ABは自分の世界での『当たり前』になった。


意味不明かつ頭のおかしい発言だと思うが……
要するに萌える対象から、自分の中に存在するのが当たり前の対象になったのかもしれない。決して飽きたわけではないから、いわば“殿堂入り”的なものになったのだろう。

そうなると、界隈での息苦しさも少し違った目線で見えてくる。


私にとってABは存在していて当然のものだ。それをいちいち、ここがいいだのあそこが好きだの、はしゃぐ気にもなれない。日常のひとつひとつをがなりたてる人はそうそういないだろう?
それでも界隈の人は騒ぐ。どこにそんな元気があるのだろうというくらい。語り合って褒め合って群れを成す。

熱が違うのだ。そりゃあ息苦しくもなる。


結局生きづらいのは何故だろう


と、いうのを散々書き殴ってきて、少し見えた気がした。
所謂、解釈の違い。意識が拗れて宗教とか言い出したせいで理解に時間がかかった。
物の見方が人とは違った。結果として同じものを好きになっているだけで、同志は“同志”ではなかったのだろう。
『好き』の形が違った。愛し方が違った。どうしても合わなかった。合わせることができなかった。

SNSでの在り方を今一度見直して、無理なようなら界隈から離れようと思う。長々と綴った思いの丈も、この辺りで締めておこう。





……それにしても今まで経てきたマイナー人生。ジャンルがマイナー、推しがマイナー、推しCPがマイナーときて、今度は解釈がマイナーか…。少しは人と共感できる人生を送りたいものだ。

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