発作的に死にそうになるのを苦しみながらなんとか堪えては涙が溢れ出る。

最近自分について理解ができたこと、でもそれがあまりにも孤独で耐えられなくなりそうなこと。

両親へ伝えたけれど、答えは「わからない」だった。私にとってそれは拒絶でしかなかった。

Twitterにもどこにも居場所がなくなってここに吐露することにした。

以下、伝えた言葉。

父母へ
最近ジョハリの窓というのを教えて貰って、秘密の窓を深めていくうちに自分という生き物が理解出来てきた。
自分とはずっとからっぽだと思っていたけれど、それは違かった。
自分は自分で在ればそれでいいんだと分かった。
私は建築みたいな精神をしている。外観がちょっと変わっているということしか理解していなかった。私という建築の複雑性について分かってきた。
さらに深めていった。
私は人間でなくヒトだった。
ずっと人間の面を被ってきた。
カフェインを飲んで頑張ろうとしていたのは人間でいるためだった。
でもそうやってごまかすことも限界に近いと思う。
どこにいても誰に会っていても、人間の面を被って生きることが辛くなってしまった。
ロクの前ですら人間の面を被っている。
すごく辛くなった苦しかった。
みんなが好いている私とは本当の私じゃない、人間を纏った私。
だけどもう限界だ。
私はヒト。
孤独で苦しい、そして何より悲しい。
でも、唯一できることは表現だと思う。
私には私の持つ言語がある。
改めて考えてみると、みんなそれぞれ言語を持っている。
私は偽りの言語を今まで使ってきていた。
でも繰り返しになるが、もう無理なんだ。
今できることは言語で表現すること、建築の窓を開けることだと思う。
そうするしか社会や人間と交わることができなそうだ。
本当は孤独で悲しい。
でも自分はもう誤魔化せない。


同じ言葉をクルーの方に送ってオンラインで面談をしました。

このとてつもない孤独感を、ヘルマン・ヘッセの「荒野のおおかみ」みたいだから、再読すると言ったら、クルーの方が理解したいから読むと言ってくれました。

かすかな希望です。

今私には「表現するか、死か」選択肢がなく、死にゆらぎそうになってはなんとか食い止めている。

私が好きなクルーのMさん。私とあまりに違いすぎてとても人間的で美しくて、隣に並べないことは悲しくあった。

でも、一緒に子ども食堂に行く約束を守りたい。

少しでも気を抜くと死にそうになるけれど、私は生きます。

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