感情無くそうとしてた話

感情なんていらないと思ってた。


今考えると厨二病ちっくなんだけど、私がそれを思いついたのは小学3年生の頃だった。

もう10年以上前の話だから詳しい部分は覚えていないけど、小学2年生の冬に父親が単身赴任したのがきっかけだったのは間違いないと思う。

私には妹が居て、妹はアレルギーがあったのと当時は若干身体が弱かった。そのくせお転婆で何するか分からない……母はそちらに偏りがち。今考えれば仕方ないと分かるけど、10歳にもならない私にはそれが苦痛だった。辛うじて土日は家に居る父親は私から見て『平等』に接してくれるから、私が父親っ子だったのも仕方ないと思う。

その父親が単身赴任で居なくなったので、バランスがおかしくなった。私をかまってくれる人は居なくなったわけで。近くに母方の祖父母もいたけど『お姉ちゃんだから~』『女の子だから~』なので何の救いにもならない。

3年生で始めたばかりの金管バンドもまだ馴染めてなくて、たぶんあんまりメンタル安定してなかったんだろうなぁと他人事みたいに振り返る。

で、その私が嫌なもの。それが妹の泣き声だった。

母親は単に目と手が離せないから妹にかまうってだけで(私は本を渡しとけば大人しくしてるので放置してても問題ない)別に妹は叱らないとかそういうのではない。寧ろお転婆な分、この頃は妹の方が叱られること多かったかもしれない。で、妹はギャーギャー泣き喚く。母親の怒鳴り声もうるさかったけど、泣き声は本当に耳障りだった。ていうか安アパートに住んでたからうちのアレ、ご近所に全部聞こえてただろうな。

さて、そこで何を思ったか私は自分の感情を無くそうと決めた。

私は妹のようにならないぞ、ギャーギャー泣いたりなんてしない。子供っぽくはしゃいだりもしない。ロボットのようになってやるんだ……なんて。なんか本の影響だった気がするけど、とにかく一緒に学校通ってた幼馴染にそう宣言したのは覚えてる。

これがまぁ、失敗だった。いや、多少成功はしてたんだけど。

お望み通り、私は叱られようが痛い目にあおうが基本的に泣かない子になった。それが可愛げなかったのか、虚無すぎたのか祖父には反抗的だとかなんだその目はとか散々言われたけれど。キャピキャピ楽しんだりする事もなくなった。家では「大人びた子」の扱いを受けた。とはいえたかだか子供が考えることなので普通に学校生活はしていたし金管バンドは楽しんでた。家庭の不満を学校で先生相手にぶちまけたらスルーされて再ブチ切れ事件を起こしたこともある。
だから感情がないって言っても不完全というか、「家の中ではほぼ完璧」「学校は普通。金管バンドは楽しい」くらい。ブチ切れ事件以降はさほど学校で嫌なことは無かったかな……。

問題が発覚したのは、中学1年生の合唱コンクールだった。当時部活関係で大荒れ……というか、とりあえず楽器から逃げたいだけだったので特に暴れたりはしていないけれど周りからは「退部者」としてマークされてる私は普通に練習に参加していた。
うちのクラスは合唱部がいた関係で他のどのクラスよりも真面目に練習していたと思う。「ちょっと男子~ちゃんと練習しなよ~」的なお決まりのアレもちょっとはあったけど、指揮者が吹部男子だったのもあってちょっとで済んだ。

土日まで使って練習して、晴れて私達は学年で1番上の賞をとった。流石に3年生には敵わないけれど、何クラスかの上級生も抜いた、十分過ぎる結果で皆泣いた。そして、私だけが嬉しくて泣く素振りをして、「涙出てないよ笑」なんて言われた。

衝撃だった。いつの間にか私は涙が出なくなっていたらしい。そういえば部活を辞めた時も涙なんて出なかったな。

そもそもどこで狂ったのか、私的には「涙は見せてはいけないもの」だった。しかしこの件で、私は逆に「必要な時に泣けないのは問題なのでは?」という結論に行き着く。

同タイミングでアニメを見始めていたが、やはり泣けない。いい話しだなぁ、で終わる。笑う方は全然平気なんだけど。私にか銀魂を布教した幼馴染に感謝。

アニメを見るうちに、いつの間にか「泣けたら良いな…」と思いながらアニメを見てポロリとひと粒。

それから、なんの意識もせずにアニメを見て泣いたのは3年生も終わりに近づいた頃だったと思う。あれはびっくりした。

3年生といえば吹奏楽に未練が出て、高校では吹奏楽楽しもうと希望を持ってたし塾も楽しんでいたから、メンタル的にも安定してたんだと思う。暖かい涙が自分から出るとは思わなかった。

一方で楽しむ方にも実は問題があった。どうも私は喜びを表現するのが下手。口角は上がらないし、なんだか周りのノリに合わせられないので見事陰キャにせ成長した。部活辞めたあたりから元々陰キャだけど。

高校の吹奏楽部とバイトはマジでリハビリ期間だったと思う。嫌になった楽器を楽しんで演奏したり、先輩方に優しくしてもらったり。陽キャ集団のバイトは馴染むのに時間はかかったけど、入ってすぐに嫌な人では無いな、と思ったからやっていけた。

おかげで今じゃ先輩の卒業も自分の卒業もボロ泣きするし推しは尊いし推しの音楽かけりゃテンション上がって踊りだせるくらいなんですけど。やばいなこの大人。

正直、イライラしたり辛い事もあるって考えると感情無い方が楽じゃない?淡々と働いて日々終われば楽かなーなんて思うこともあるけど。
でもやっぱり大事な場所を卒業する時にボロボロ泣いて感謝を伝えたり、久々の推しのライブ決まってドキドキしたり泣いたり、そういうのいいなぁって思う。

あの時はたぶん、気持ちを殺すっていうのが私に出来る精一杯の防衛だったと思うけど、色々無駄にしたかなぁなんて思うこともある。合唱コンクールとか、もしかしてもっと楽しめたのかな、とか。

これを書いてどうなるって訳でもないけど、とりあえず夜で何となくか考え事したしたい気分だったから過去の私を供養しようと思って書いてみた。

( ᐡᴗ ̫ ᴗᐡ) 。。†┏┛墓┗┓†


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