天邪鬼のバタフライ効果で 家庭科の先生の顔がゆがむ

○月△日

いつの間に自分の中に天邪鬼(あまのじゃく)が居つくようになったのだろう。

子どもの頃、母親から何度も「あんたは天邪鬼やから」と言われたっけ。

「この問題わかる人!」
なぜ家庭科だけ担任の先生じゃなくて、この若い女の先生が教えているのだろう。
「はい、はーい!」
ほとんど全員が手を挙げた。
そりゃ簡単だ。同じインスタントコーヒーで200g300円の小さい方と、500g500円の大きい方でどちらが得か。小学生でもわかる。小学生だけど。
「じゃあ、○○くん」
う。オレを当てやがった。
「えー」
むくむくとオレの中の天邪鬼が出てきた。
「小さい方です」
先生が微妙に嫌な顔をした。

この先生のことはあまり好きじゃない。いつも何だかイライラしている。
かといって担任の歳とった先生はもっと好きじゃない。戦後のドサクサで教員になったからか、なんだか知識が浅いのだ。

「あれ? どうしてかな」
みんなもザワザワしている。
わかってるって。
でもなあ。これは算数の授業じゃないんだ。家庭科の授業だ。
家庭科らしい答えがあるはずだ。
しかし、どうやらそれは間違いらしいと先生の顔に書いてある。
さあどうしようか。

「やっぱりコーヒーは香りが大事だと思います。香りを楽しめるのは開けてすぐだから、小さい方が香りが良いまま使い切れるので、小さい方が得だと思います」
先生はもっと嫌な顔をした。当てるんじゃなかったと後悔しているのだろう。
小学生がコーヒーの香りについてあれこれ言うのは相当変だ。

「あと、大きい方は途中で湿気を吸って固まってしまいます。大きい方は使い切れないかもしれないので、小さい方がいいです」
これは本当だ。家で何度も見たことがある。今は技術が発達したのか、吸湿して固まるようなことはなくなったけど、昔のインスタントコーヒーはよく固まったのだ。
しかし、我ながら家庭科の答えとしては満点以上じゃないだろうか。

この後のことはあまり憶えていない。きっと若い先生が授業を立て直すのに苦労したのだろう。

「あんたは天邪鬼やから」
また母親の言葉が頭をよぎった。

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なぜか冒頭から私小説風の書き出しです。先生のゆがんだ顔とか、はっきりと憶えています。

昔から天邪鬼でした。天邪鬼でいると気持ちが良かったのです。小学校時代、自分だけが違う意見、自分だけが手を挙げているという状況に快感を覚えていました。人と同じだと居心地が悪いというか、気持ち悪くて。

快感があったから天邪鬼になったのか、天邪鬼だから快感を覚えるのか、どちらなのでしょう。そういう遺伝子なのか、後天的に獲得したのか。

おそらく、ほんの少しだけ先天的にエキセントリックな考えができる性質だったのでしょう。それを母親が見つけ出して、どちらかというと褒め言葉のニュアンスで、天邪鬼と称した。
それを聞いたリトルボクはまたその言葉を聞きたくなって、どんどん人とは違う言動を繰り返していった。日に日に天邪鬼的な能力、つまり異なる方面からものを見る能力を磨いていったのでしょう。
ちょっとした性質の違いは、性格となり人格にまでなるのです。性格と人格の違いはわかりませんが。人格が変わればもちろん人生にも影響します。性格のバタフライ効果です。ブラジルでの蝶の羽ばたきがアメリカで竜巻を起こすのです。

そう言えば、だいたいどんなコミュニティに属しても、端っこにいた記憶しかありません。端っこに追いやられるのではなく、好んで端っこにいました。
学生時代も会社員時代も同じです。どこにいても、常にここはホームでなくアウェーという感覚がありました。

少数側の意見の立場からや、誰も光を当てていない方向から見ると、意外に本質が見えてくるんじゃないかと常に思っています。家庭科の先生のように不愉快で顔をゆがませるのではなく、笑う方向へ顔をゆがませるようなそんな感じで、このnoteコラムも書き続けたいです。
ありゃりゃ。オレって凄いんだぞ、これからも見ておけと自分で自分のハードルを上げているみたいだ。
ま。それはそれで天邪鬼らしいか。それではまた。

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