見出し画像

今さらだけど、和田誠著「倫敦巴里」

2022年7月20日
写真右はボクが高一くらいのときに買った「倫敦巴里」、左が数年前に買ったその復刻版「もう一度倫敦巴里」です。
名著中の名著です。書評を書くなんて恐れ多くてできません。絶賛紹介します。

内容は、イラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督である著者のそれぞれの才能が発揮されたパロディ(氏曰くモジリ)満載の本です。
圧巻なのは、川端康成の「雪国」の冒頭を、当代の有名作家が書いたらどんな文章になるかシリーズと、イソップ寓話「兎と亀」を世界の映画監督が撮ったらどうなるかシリーズです。

「雪国」の「国境の長いトンネルを出ると雪国だった」から始まるシーンを、大江健三郎、池波正太郎、星新一、筒井康隆、野坂昭如、司馬遼太郎、横溝正史、村上龍などの作家に模して書いているのですが、その作家の特徴を完璧に捉えて、書きそうな角度から、ほぼ同じ文体で書いています。

和田氏はイラストレーターの印象が強いですが、ここで発揮した文章力というか文章模倣力は凄まじいものがあります。
自分とは違う他人の文章スタイルを真似て、その人と同じ角度から書くことの大変さ、凄さって、このnoteの住民ならよくわかっていただけると思います。

この本は昭和40年代あたりの雑誌に掲載されたものからの編集なので、内容は発売当初でも古かったのですが、当時高校生だったボクにとって、有名どころの押さえておくべきメインカルチャーのガイドブックのような存在になりました。
つまり、その後、ゴダールやフェリーニやヒチコックや市川崑や黒澤明などなど世界的名監督とされているの映画を観るとき、「倫敦巴里」の兎と亀のシーンを思い浮かべて、答え合わせをする、みたいな位置づけだったのです。「雪国」もそうでした。
映画と読書の扉を開けてくれた本だったかもしれない。

あと絵画も同じです。
ダリ、ピカソ、クレー、シャガール、ロートレック、マグリット、ビュッフェ、棟方志功、写楽、などが日本の漫画キャラクターを描いたら、に挑んでいます。
ボクにとってシャガールやロートレックあたりの第一次遭遇はこの本だったかもしれません。今でも本家作品を鑑賞するたびに、この本の記憶がよみがえるのです。

復刻版の「もう一度倫敦巴里」には、「雪国」シリーズへ新たに、サリンジャー、サルトル、チャンドラー、村上春樹、吉本ばなな、椎名誠、蓮實重彦、俵万智、井上陽水などが加わりました。それでも古いか。
サリンジャーの米文学翻訳感、村上春樹「やれやれ」、椎名誠「強力粘着アラビアのり的必殺記憶男」、うーん、憑依しているとしか思えない。

もっと評価されて然るべき人なのに。
評価されているか。
現代の作家で「雪国」シリーズを誰かやってくれないかな。
和田誠の後に和田誠無しかもしれないけど。それではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?