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【“予定不調和”な選手を発掘せよ。】

僕にはサッカーのスタイルに対する強いこだわりや、好き嫌いは無い。

ボールをくどく回すポゼッションスタイルにも惹かれるし、ゴール前にカテナチオを敷き、数少ないカウンターチャンスでゴールを奪う堅守速攻スタイルにも共感を覚える。

個人レベルで見た場合もイニエスタのようなピッチ中央に君臨し、精密機械のようにボールをさばき続ける選手にも憧れるし、

ビダルみたいな、まるで狩人かのように相手ボールを狩り奪うクラッシャータイプの選手にも強い魅力を感じるのだ。

僕の小学校時代に、世界で活躍していたサッカープレイヤーは近年のサッカープレイヤーよりも、どこか“予定不調和”で個性とパッションの溢れるプレイヤーばかりだったような気がする。

ロナウジーニョ、シネディーヌ・ジダン、ロナウド、ダーヴィッツ、アドリアーノ、ピルロ、ガットゥーゾ、レコバ、フランチェスコ・トッティ、ベロン、レコバ、カカ………

挙げれば挙げるほどきりがないのは分かっている。

“古き良き時代バイアス”にかかっている可能性も考慮している。

しかし、上記の様な選手達から強烈なパッションと溢れ出るバイタリティを感じるのは僕だけでしょうか?

【均一化されつつある今の時代】

近年は指導メソッドが民主化され、誰もがその情報にアクセスする事が出来る。

一定の水準と統一性が担保された環境のもと、プレー又は指導する事が出来ている。

あくまでも僕個人的な見解ではあるが、近年のサッカープレイヤー達はどこか似ていて個性を見いだしにくいような気がしてままならない。

特にJリーグを見ていると、その反応をより強く感じてしまう。

日本には素晴らしい選手がたくさんいる。中田英寿や本田圭佑のように海外リーグに活路を見出し、活躍の場を広げていく選手は本当に増えた。

日本サッカー界全体の努力の賜物だ。

しかし、まだまだ課題も多い。ワールドカップでは思うような結果を残せていない。

こんなにも海外で活躍している選手がいるにも関わらずだ。

その原因には一つの仮説がある。

その仮説を僕は“11人バランサー説”と呼んでいる。

海外で活躍している日本人選手はもちろん素晴らしい選手ばかりだが、その多くがスタメン11人のうちの1ピースとしてポジションを獲得しているのだ。

当たり前の話ではあるが、、、

つまりは海外でプレーする多くの日本人プレイヤーは、海外の強豪クラブに犇めく野性溢れる個性的な海外プレイヤーのうち、規律高い“バランサー”として買われ、起用されている選手が多いのだ。

決して悪い事ではない。

むしろ、自分がこの場所で生き残るための道を探り当て、その役割を全うする事は皆が出来る事ではないし、それが出来たから海外リーグで活躍できているのだ。(本田圭佑は少し違った。自分で局面を打開する選手としてのポジション確立を常に目指していた)

【11人バランサーチームがW杯で勝てるのか?!】

現レアル・ソシエダの香川真司が、マンチェスターユナイテッド時代にこのような事を言っていた。

「ここでプレーしていると自分で無理する局面が無い。ファン・ペルシーに預ければ、ルーニーに預ければどうにかしてくれる。そこを頼りたくなる自分もいる。でも、日本代表にはそんな選手はいない。自分でどうにかしないといけない。自分がそっち側の選手にならないといけない」

まさにその通りだと僕も思う。

【今こそ“予定不調和”を見逃すな】

何をしでかすか分からないが、強烈なパッション、キャラクター、バイタリティを持ち、未完で“予定不調和”原石を見逃してはいけない。

指導者のエゴで、指導者の理想をプレイヤーに当てはめてはいけない。

それでは、今まで通りの予定調和な選手しか生まれなくなってしまう。

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「コーチ」という言葉の語源は「馬車」であり、「大切な人を、その人が望む場所へ送り届ける」を意味する。

「コーチング」は“教える”事ではない。“送り届ける”事だ。

何者にでもなり得る大器の原石を適切に“送り届ける”事が今は最も大切な事ではないだろうか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。