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吉田知子「脳天壊了」

ものすごい小説だった。脳が痺れた。狂気や死を掘り下げて描きながら、大仰な毒々しさは感じさせず、どこか茫洋とした不気味さと歪んだ笑いを湛えている作品は、半世紀経っても全く古びていないどころか、まだまだ時代が追いつけそうにない。以前、講談社文芸文庫の「お供え」を読んだときは全く内容が理解できず、もう一度手に取ってみたけど中身はおろかタイトルも全然覚えていなかった。絶対読み直さなきゃ。

「脳天壊了」
ホラーよりもずっと怖い。ホラーがエンターテインメント化しようとしている恐怖の根底にある死や狂気をほじくり返してあからさまにするような小説。鉄板の塀を殴りつけたあたりから、いきなり血生臭い過去の記憶が、現実を侵食し始める展開が唐突で恐ろしい。方言を全面に出した独り語りが終盤にかけてどんどんテンポアップしていくのも、とにかく読んでいて不安になる。

「ニュージーランド」
不思議な小説。終盤でいきなり現実が破綻する、または、すでに破綻していたことが明らかになるのが持ち味なんだろうか。「タマ子がえたいの知れぬ人間だったとしても警戒する理由は何もなかった。私は自分のことも、えたいの知れぬ人間だと思っている。何とか暮らしてこられたのは奇跡みたいなものだった」という一節の、自分自身をえたいの知れぬ存在として認識していることが、この著者の文章に惹かれる理由なのかもしれない。設定だけはラモーナ・オースベル「安全航海」を思い出したけど、読後感は真逆だった。

「乞食谷」
これがいちばん好きかもしれない。タイトルからしてもうヤバいし、内容はさらにヤバかった。「私、蟹と申します」でひっくり返ってしまった。しかも著者の本名はもともと「蟹江」だったらしい。ユーモアと呼んでいいのかもわからない、呆気に取られて笑うしかないような文章に揺さぶられ続ける。そしてこの終わり方は、ちょっと忘れられない。

「寓話」
「東堂のこと」

どちらも一人の男の一生を淡々と綴っていくスタイル。語り手の私見や感情を挟まず、ただ起きたことを書き連ねていくだけだが、驚くほどのリーダビリティーで少しも退屈せずページを捲る手が止まらない。「寓話」の結末のぶった斬り方が切なくも爽快ですらある。

「お供え」
これだけ以前読んだことがあった。改めて読み返すと、前回よりも少し楽しみ方がわかったような気がする。ラストの方はシャーリイ・ジャクスン「くじ」をもっと不条理にしたような印象。これも最後の数ページで、突然、主人公が主体性を失うくだりが不気味。

「常寒山」
良いタイトル。ちょっとホモフォビア的な要素が気になりはしたけど、婉曲的にほのめかす描写が、だんだん露骨になっていく手並みは鮮やか。無神経な夫の描き方が、最近のネット漫画のネタ元に思えるくらい生々しい。この作品がいちばん河野多恵子的なホラー/怪奇小説的なクロスオーバー性を感じたかな。

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