でもいい。

 毎年七夕になると、「織姫と彦星、がんばれ!」って思う。もう長らく天の川を見ていない、ってか生まれてこの方ちゃんと見たことない気がする。
 東京のまあまあ中心に住んでちゃ雲がなくても見えないかもだけど、雲を蔓延らせない努力が必要だとは思わんかね。

 でもふと、思うことがあった。
 これ僕らの目からは雲が張って見えないだけで、星々があるだけの宇宙ではちゃんと存在しているわけで。
 ってことは七夕の曇りってのは織姫と彦星の逢瀬を見せないための帳なんじゃないかと。
 去年の日記の天気欄は「晴れ」。でも一言目に「七夕ではないだろ!」って書いてあった。つまるところ、夜になって雲隠れが起きたってこと。
 今年もそう。じゃあ、そういうことじゃん、と。

 織姫と彦星は年1でしか会えないというこの日に恥じらいを感じているのでは?
 そう思うと、なんか別にいっかぁって思う気持ちが湧いてくる。

 その気付きを得てから、なんか一瞬でいろんなものが「別にいっかぁ」と思えるようになってきて、また僕は変わってしまったのだねと思うんだな。

 僕を苦しませる、悩ませる色々なことが世界には転がっている。でもいい。別に生きてるし、みたいな。
 いや全然よくないですけど!? ってなる気持ちもありながら、諸行無常には抗えねぇよとおおらかに笑う僕がいる。怒りと笑いなら僕は後者を選びたいものです。

 人にはそれぞれの視界があって、それによってこの世界がどう見えてるかが違うわけです。その見え方によって自己の捉え方も変わってくる。
 Twitterのタイムラインなんかをボーッと眺めていると、入れ食いと言わんばかりの頻度で誰かの悩みが流れてくる。率先してリプで励ます勇気のない僕は心の中で「でもいいんだよ」とだけ呟きながら、「ああああああーーーっ」とだけツイートしたりする。ツイートに意味はないんですけどね。

 生きるだとか死ぬだとかそういった規模じゃない話でも、些細なところで人の心はささくれるわけで。正直、その全てに対して「でもいいです、大丈夫」と思ったりしている、ように変貌した僕。

 人が変わるのなんて一瞬ですよ。昨日まで強く縋っていた考えを今日には捨て去ることもある。でもいい。無情にも今日は明日にゃ昨日になっていくんだし。

 なんでもかんでも一つの考え方でごった煮する必要もない。ケースバイケースでやってきゃいい。人間として向上することが何も最適解とは限らないのだから。

 白だの黒だのグレーだの、ざけんな他にも色はあるだろ、と。
 え、僕怒ってる? 怒ってないです。思ってるだけ。

 書きたいことだけ書いてたら、何を書きたいかがよくわからなくなってきました。でもいい。ともすれば言い訳ともとれるこの言葉が今このnote内では僕を守ってくれるので。

 言葉ってのはなんなんだろうね。意図を伝えるための道具なのか、表現のための機能なのか。一義に整える必要もないんですけど。

 いけないね、目的もなく書き進めた文章は、見苦しい。読み苦しい。きっと後悔する。後々このnoteは消すかもしれない。と、表明したってことは消さずに済むかもしれない。わからないね、一寸先のことなんて。でもいい。明日の僕が今の僕である確証なんて本当にどこにもないんですもの。

 さて、終わります。

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