味のしない蜜です。

嬉しい出来事ってのは後からやってくる。
それを感じながらその嬉しい出来事に報いることができていないということが、ここ最近僕の心をチクチク刺激している。
まぁそのチクチクから逃げるようにあつまれどうぶつの森に自ら率先して集まっているんだけど。

これは懺悔と表明で、ともすれば正当化なんだけど、これさえやっちゃえばおそらく僕みたいな人種は嬉しい出来事に報いることができるであろうと思うのです。

『存在しない男子高校生の会話』を読んでるよ、と言ってもらえることがここ最近で一番嬉しい出来事です。
あぁ、自分の生み出した文章が読まれている、と実感できるから。

ただ、『存在しない男子高校生の会話』を僕は軽く2週間ほど更新できてない。
それは僕の怠惰が招いているが故の現象。
まぁ正直3月の頭とかに体調崩してそれどころじゃなかったんだけど、というか事を遡ればそれが全部の原因ではあるんだけど。

例えば人間、数十分から数時間歩き続けることはできるけど一旦止まるとなかなか再び歩き始めることは難しい。
止まった時に疲れが一気に出るんだな。
これがあろうことか僕の大好きな「創作」という領域で起こってしまっている。

再起不能、ってわけではないけどなんとなく現状ではあのペースで彼らの言葉を生み出すのは難しいだろうなぁって思ってしまう。
『存在しない男子高校生の会話』は誰かに監修されてるわけでもなければ編集されてるわけでもなく、どこにもお金が発生していない完全自己満足の作品だからそれで困る人といえばこの作品を楽しみに待ってくれている人だけだと思う。

でもそれが一番重要なんですよね。僕の強い思い込みにより、『存在しない男子高校生の会話』を読んでるよ、と言ってくれてる人が僕にとってはそれを楽しみにしてくれてる読者なんだけど、完全にその言葉に報いることができていない。一番困らせたくない人を困らせている、みたいな状況にある。

実際そう言ってくれた人がそういった読者かどうかはわからないけれど、実際に「読んでくれている」ということが何よりも大事なわけで。

本来の、というかある時点での僕における「その言葉」は言うなればエンジンで、それさえあればどこまでも書き進められるはずなんだけど、ところがどっこいそんなにうまくはいかない。

「その言葉」が来るのは筆が止まってからの方が多い。
嬉しい出来事ってのは後からやってくる。

語弊があるかもしれないから訂正しておくと、仮に僕が体調不良に負けずに書き続けていれば「その言葉」は筆が止まる前に来て僕の駆動系にガソリンが直撃ちされてたんだ
問題は、僕の筆が止まったという、ただ一点のみなんだよ。

そしてさらに語弊が生まれているかもしれないけどこれは決して「言うのが遅いよ!」って話ではなく、徹頭徹尾「嬉しい出来事ってのは後からやってくる」って話なんだ。だからこれからもどんどん言われたい。

『存在しない男子高校生の会話』、読んでるよ。

って。もうちょい正確にすると、

男子高校生のやつ、読んでるよ。

だ。
そもそもこれ、タイトルとしてマジで適当なところがあって、僕としても「題名」よりは「シリーズ名」って意味合いのほうが強いんじゃないかって思ってる。
投稿するときのタイトルも数字だし。
だからってのもあるけど、僕がこだわって『存在しない男子高校生の会話』って表記し続けてるだけで今後何かしらの変容を迎える可能性は十分にあり得るし、多分そうなると思う。
略称もつけにくいし。一定の長さを超えるタイトルである以上、略称のつけやすさって大事じゃない?

『逃げるは恥だが役に立つ』→『逃げ恥』
『ロミオとジュリエット』→『ロミジュリ』

挙げればキリがないけれど、上記になぞらえたところで『存在しない男子高校生の会話』はいまいちしっくりこない。

『存男』? 『しな男』? ……いやいやいや。

そういうことがあるから、今後名称は再考するだろうなと。

さて、これまでが雑談含んだ懺悔。
さて、ここからが表明。

現在『存在しない男子高校生の会話』は144まで投稿済みなんですけど、そろそろ切りがいいから150で終わりにしようかなと。
これはシンプルに「毎日投稿に追いつかせるための作品数が多すぎる」ってのもあるんだけど、144ある時点で僕の納得のクオリティに至ってない話が多すぎるってのが大きい。

「毎日創作を続ける」という目的で始めたこの『存在しない男子高校生の会話』、100を越えたあたりでそれは達成できている節があって、次やるべきことは「出すものの精度を上げる」なのかなぁと思い至って、ちょっとやってみたいことが芽吹いてきた。

それは、150で区切りになった『存在しない男子高校生の会話』をブラッシュアップしていくという作業。

現在、『存在しない男子高校生の会話』はセリフのみで展開していく形式をとっているけれど、表現としては「小説」なんだよね。地の文やト書きを排したセリフのみの表現はどう言った感じになるのか、って疑問があったから。

これによってこの作品への向き合い方は「小説」なのに受け取り方は「戯曲」に近いという現象が起こっていた気がする。想像する余地ばかり残していたし。

それに、要素を追加する。まずは地の文。まずはってかこの一点のみだけど。
小説としての立場が安定していない『存在しない男子高校生の会話』を小説として安定させる。そして、その会話が持ってる面白いところをもっと顕在化させていく。
話によっては全く違う話にして、とにかく現在よりも面白い話にしていく。

150の会話を拡張して、ディグって、作品度を上昇させる。

今僕がやりたいことはそれなので、飽きるまで頑張る。

人の不幸は蜜の味って言うけど、人の懺悔は何の味なんだろうね。

きっと、クセになる食感のクセに味はしないんだろうな。


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