「2021年」について

 明けましておめでとうございます! 例年通り新年が始まりましたね。
 皆様はどんな年の暮れ、年の始まりを過ごされたんでしょうか。僕は姉と外でいろいろ写真を撮ったりしていました。大学入学とともに実家を出てから、それまでは実家で両親と迎えていた新年は姉と過ごすことが多くなりました。毎年なんとなく「新年はどっちの家で過ごそうか」なんて連絡が始まると「あぁ年末だなぁ」と感じたりするものでして。

 年末と言えば「来年の抱負」、年始と言えば「今年の抱負」ですわね。急にちょっと心に眠るお嬢様が出てきてしまいましたけれども。えぇ、それほどまでに抱負というのは鉄板の話題でして、今回はそんな抱負とともに2021年について書いていければなぁと思っています。

 まず、座右の銘。そういえば昨日のnoteでサラッと「今年の座右の銘は」なんて言いましたが一般社会では座右の銘は一年やそこらじゃ変えないってことをすっかり忘れておりまして。
 僕はなにぶん飽き性なので、一度気合いを入れて使い始めたものでもなんだかズレを感じるとすぐにポイっと投げ捨ててしまう癖があり、そういった理由で数年、長くて数十年背負い続けるというスタイルの座右の銘は向いてないと自己判断しました。その結果、毎年座右の銘を更新する、というスタイルを去年から始めたというのが殊の顛末。っていうかそれすら去年からなんじゃ始まりたてもいいとこじゃんね、と言いたいですわね。

 そんな僕の今年の座右の銘はこちら!

「アイデアで蹴散らせ」

 座右の銘は人の言葉を使う場合がほとんどだと思います。ただ僕は毎年更新型ですので使い捨てのような風合いが強く、そういったものに人の言葉を使うのもどうかと思うので「人が言ってたかもしれないことを自分風に書き換える」といった手法でもって表現させていただいています。
 こちら、ですので僕の言葉に他なりません。読んで字の如く、今年の僕は何かが起きようものならそれら全てをアイデアで蹴散らしていこうかと思っています。もうそれ以上もそれ以下もないじゃん。

 ちょっと滑り出しで敬語使っちゃったから恭しくしようと頑張ったけどもう無理です。ラフにいこうぜ。

 まぁ実際、人の思考力ってのはバカに出来ないもんで、ここ一番って時のひらめきが急に成功を勝ち取ることだってあるわけだ。その土壇場ひらめきパワーを常に漲らせて一年間頑張ってみようってこと。どうなるかに関しては僕も想像してないから、大空回りしてたら笑って欲しいんですけども。

 簡単な例で言えば、友達との旅行、その当日に寝坊した矢光! どうする! 謝る? とにかく急ぐ? でももう電車でも追いつくとかむずいし……そうだ、新幹線! 時間は金で買えるんだ!

 みたいなことです。あれこれってアイデアか? アイデアなんですよ。起死回生に使われた脳が抽出した物はなんでもアイデアと呼んでいいんです。

 これをコツコツ続けていくことで一年後には即決力のある大人になっていることを願います。僕は即決力がいきすぎて人の話を聞かずに物事を決定する人すっごい苦手なんですけど、まぁ人は鏡、ですからね。人の振り見て我振り直すってもんです。

 で、本題の抱負。座右の銘を踏まえるとこんな感じになります。

「人が気付けることに自分も気付けるようになる」

 これについては人間的な成長をしたいという願望が現れてるんですが、僕はまぁ周囲の環境の変化に対して疎い疎い。人が気付いてからやっと「……え、あ、そうか」ってなって動き出すことがあります。
 陸上選手がスタートのピストルを他の選手の一歩目を見てから気付くようなもん。そんなん出遅れ必至だし、そこから捲れる力も僕にはない。だからといって捲る力を養うのは対症療法でしかないから、僕は原因療法をしようと考えている。
 ちゃんと、ピストルの音を聞く。人につられた一歩目じゃなくて、自分の判断の一歩目を踏む。

 23年生きてきてずっと出来なかったことがじゃあ24年目ですぐにできるかってーとそれはお門違いかもだけど、まぁそこは(年齢的には)大人のプライド。どんどこ頑張ってやりますよ。

 そんな感じで2021年。何も具体的な話はしないまま幕開けいたします。ヤッコこと矢光翼ことヤッコを好きな方、嫌いな方、無関心な方、どうぞ今年もよろしくお願いします。

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