迎えにきて欲しいだけだよ

 教室棟から特別教室棟へと繋がる渡り廊下は、中庭の一部となっている。
 その大きな姿と、全ての教室から見えることから「天樹くん」と呼ばれるブナの木の裏に、僕は隠れている。
 昇降口では文化部が、特別教室棟を挟んだ向こうのグラウンドでは運動部がそれぞれ帰宅の賑わいを見せている。
 僕は、彼らを見るでもなく見送る。
 息を潜め、足元の土を鳴らさぬようゆっくりと身を捩る。
 遠く微かに、階段を降りる音が聞こえ、渡り廊下の簀の子が大きく鳴る。その足音はそのまま過ぎ去り、廊下を打つ音に変わる。

 生徒は、学校が終わったら帰らなければならない。でも、僕という生徒は学校が終わり、部活が終わってもなお、帰りたくない。
 家に帰っても何もない。誰もいない。1人であるということが、独りであるという輪郭をはっきりさせる。
 何もすることがない時間の、あの動かない空気が嫌で、僕は隠れている。僕が隠れている間は、1人じゃない。

 また、簀の子が鳴る。小さなため息が、遠いのにはっきり聞こえる。
 「んー」と声がして程なく、土を踏む音。
 あと数歩で、

「見つけた」
 見つかった。
「ほら、下校時刻だよ」
 先生は、僕と同じところまで腰を落として目を見てくる。
「内履きでここまで来ちゃダメでしょ」
 そう言って、困ったような顔のままじっと見てくる。
「ここなら見つからないと思ったんだけどな」
「見えるもの」
 先生が指を差す。その先には、天樹くんの葉。
「天樹くんが隠してるじゃん」
「わかるよ」
 先生は一転、面白がるような声になる。
「隙間から見えさえすれば、坂野だってことぐらい、僕にはわかる」
「ふぅん」
「3-Bの掃除用具に紛れてた時の方が苦戦したよ」
「まさかあんな場所にいるとは思わないだろうからね」
 先生の手が僕を立ち上がらせる。
「助かったよ、坂野が同じとこに隠れない人で」

「さ、帰ろう」
 渡り廊下で内履きの土を払って、僕は昇降口から追い出される。
「坂野」
 施錠しながら、先生は聞いてきた。
「なに?」
「次は、汚れない場所で隠れること。いいね?」
 ズレてる。この人は、教師として「隠れるなんてやめろ」って言うべきなのに、そうは言わない。
「しょうがないな」
「じゃ、気を付けてね」
 ここ最近で気づいたことがある。僕が昇降口から見えなくなるまで、先生は施錠を終わらせない。
 隠れている最中に聞こえる「カチャ、カチャ」という音は、見つかると聞こえなくなる。

 それが先生の気遣いのようなものなら、大きなお世話だけど。まぁ、感謝してやらないでもない。

 僕が学校に来る理由は、このためにある。授業とか休み時間とか友達との会話とかよりずっと、この時間のため。

 知ってか知らずか知らんけど、僕はただ、先生に迎えに来て欲しいだけだよ。

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