バイクに乗るという事

バイクっていうのは車に比べて趣味に使うことが多くて、走っているときの爽快感と引き換えに事故を起こすと、良くて怪我。悪くて死んでしまうことがある。
まぁそれだけ危険度が高い乗り物なんだけど、そんな乗り物を人のお金で買うっていうのはどうなんだろ?

確かに自分の欲しいバイクが高価で、とてもじゃないが手が届かないというケースもあるだろうが、そんな時はローンを組むか、何とかしてお金を貯めるか、諦めて手の届くバイクにするかの三択になるのかが普通だと思う。
が、彼女は第四の方法を取った。クラファンだ。
他人に金を出させるというのは、自分の意思を他人に委ねるという事であり、「他人に買ってもらった」事により自らの行為による責任を薄めるという現象が起こり得る。
仮にこのクラファンの主が上手いことバイクをせしめたとして、Tiktokで阿呆な踊りやらショートやらを投稿して炎上したとしよう。
彼女はこう思うんじゃないだろうか?
「私は悪くない」
そう、彼女は悪くない。悪いのはこの子にバイクを買い与えたオッサンどもにも責任の一端があり、そういう責任逃れでができてしまう環境を作ってしまうのに協力してしまっている事に気づかないで支援してしまう人たちのお陰で、彼女は自分の責任を感じずに済んでしまう

そもそも自分が乗りたいバイクを自らの苦労を惜しんで、他人に買わせようとする意志こそが自己の責任を逃れようとする心理の表れなんじゃないかな。

まぁ、こんな事に支援する連中は「金出せばお近づきになれるんじゃないか?」って考える、脳みそが海綿体でできている隠しきれないスケベ心を持ったオッサンだろうから、そんなことを考えないのかもしれない。
同じ10万出すんだったら高級風俗に行った方が、まだ実りはある(ないかもしれない)

バイクという乗り物は自己責任の乗り物だと思っている。
メンテナンスを怠って故障した。それが起因で事故を起こした。
山奥で立ちゴケかましたら起こせなくて途方に暮れた。
車だったらあり得ないトラブルが、バイクだったら日常的に起こる。
それを防ぐために日ごろのメンテナンスを欠かさず、ライディングスキルの向上に励み、万が一のトラブルにも対処できるよう対策する。
何もすべて一人でできなくてはならないかというとそうではない。
メンテナンスは定期的にバイク屋に預ければ良いし、スキルにしてもライディングスクールを活用できるし、ツーリングだって人数が揃っていれば、立ゴケしたとしても助けてくれる人が周りにいれば、とりあえず問題は無い。
そういうリスク回避を頭に留めて行動しないと、簡単に裏切ってくれる乗り物という事を分かって乗らなくてはならないと思う。

自分で苦労して買ったものと、見知らぬ他人に金を出させて買ったものとでは、その重みが違う。
非日常の世界を得るには、それなりのリスクと責任が付きまとう。

バイクという乗り物は、自分の行為がそのまま自分に帰ってくるし、そのリスクを承知して乗らないと、早晩痛い目に合うか、さっさと降りてしまうかではないのかな。

バイクは常に己を磨けと要求してくる乗り物なのだ。
他人に買わせようとする甘ちゃんには扱いきれないよ。

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