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学校に「無駄」は絶対に必要~大先輩の昔話から

けい先生です。定期的に有志のZOOM学習会に参加しています。70代の元高校教員が2名いらっしゃって、昔話がたいへんおもしろい。学校現場は、戦後教育が始まった頃から大きな変化をしています。ですから、大先輩の話を聞くことは、現在の教育を批判的に捉えるためにも貴重なのです。

1.「無駄」は絶対に必要

70代の国語の先生が、「無駄は絶対にいいこと」と断言していました。今の学校現場(社会)は効率化重視で動いていますから、まさに真逆の発想です。

「文化祭では職員劇をやろう」と。すごくおもしろかった。ゴールデンウィークにはみんなで山菜採りに行った。滋賀の山奥に30人くらいでね。

学校の空いたところにサツマイモを植えたこともある。落ち葉を集めてきてホームルームで焼いて食べた。みんなうらやましがる。年々ほかのクラスにも広がった。

餅つきを企画すると、3クラスくらい同時にやりたいと言ってきた。臼と杵が足りなかったが、生徒が「家にありますよ」と。みんなで持ち寄る。ホームルームの計画を立てるのを、先生も生徒も楽しみにしていた

これは、私にも思い当たる節がありました。10数年前になります。初任校で団塊の世代で定年間近の先生が、山菜の煮物をたくさん持ってきてみんなに配ったり、「すいとん」を炊事場で作ってくれたりしたものです。そのころは少しずつ現場も息苦しくなりつつあった頃でしたが、こうした先輩はたくさんいました。

2.おしゃべりの無い職員室

今の学校現場の状態をご存じない方も多いと思います。職員室では、みんなパソコンに向かって作業をしています。できるだけ無駄なことは話さず、必要なことだけ話すように努力します。教育談義をする時間はほとんどありません。では、大先輩の頃はどうだったでしょうか?

学校の先生は灰色に燃え尽きています

職場の先生と話すことがエネルギーになる。若い人たちが自主的に公開授業をやった。「誰でも来てください」というスタイル。公開授業は絶対にやったほうがいい。それで、放課後は飲み会をやる。飲み会で理科の先生がいると、自然科学系の評論文の補足をしてくれる。体積と表面積の話とかしてもらったのを覚えている。それならと、授業に呼んで話をしてもらった。

昔はほぼ毎日飲み会という、衝撃的な発言も飛び出して楽しかったです。私はどちらかといえば、弱い方です。そして、若い先生は「1銭も出したことがない」。これは大事ですね。私も先輩に「後輩ができたら同じようにしろよ」と、よくおごってもらいました。

それはともかく、いつでも公開授業という姿勢は、私も同意します。上から言われて行う研究授業や公開授業のように堅苦しいものではなく、普段の授業を見てもらい、また気軽に見に行くのは本当に大切です。今は、研究授業が憂鬱な行事の代表格になっていて、大問題だと思います。

3.しかし煙草はみんな吸っていた

朝の打ち合わせ、大所帯で職員が100人くらい。マイクを使わないと声が届かない。みんな煙草を吸っていて、煙で視界がぼやけていた。しゃべっている人の姿がよく見えない。

喘息持ちなので、私の世代でこの習慣が消えたのはありがたいことです。ただ、喫煙場所も無くなって、自家用車の中で一服している先生は、肩身の狭いことだろうなとは思います。

4.まとめ~ゆったりとした時間

小中で29万人に及ぶ不登校児童・生徒数。いじめや校内暴力も高止まりをしています。子どもたちは、国連が早急な改善を勧告(ご存知でしたでしょうか)する「過度に競争的」な日本の学校教育の中で、子どもたちは明らかに傷ついています。今回の勉強会で、印象的だったのは「私が若かった頃は、教室に『ゆったりとした時間』が流れていた」という言葉です。子どもの権利条約にも示されている余暇の時間。この時間を、生徒にも教師にも取り戻したいと思います。


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