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【レイキの歴史 ④高田はわよ氏】


 
今回は、レイキに多大な影響を与えた林忠次郎さんのレイキ療法を受け、その後レイキ療法を学ばれた高田はわよさんのお話をしていきます。
 
 
【どういう人だったの?】
 
 
高田はわよさんはハワイ・カウアイ島出身の日系二世の方でした。
 
 
1935年、高田さんが34歳の時「胆のう障害」と診断され、手術を受けるために来日。しかし手術目前となって「手術を受ける必要はない」という内なる声を聞いたそうです😳
 
「手術以外に助かる方法はありませんか」と医師に尋ねたところ「時間が掛かるかもしれないがそれでよければ」と紹介されたのが林忠次郎さんでした。
 
 
そうして林さんの靈氣療法を受け回復した高田さんは帰国を延期し、一年間レイキの精進をされました。その後1938年にハワイにて林さんより師範認定を受けることになります。
 
しかし1945年、日本国内では関東大空襲によりレイキ関係者が多数死亡。ほとんどの関係資料が焼き去り、さらには第二次世界大戦の終戦を期にレイキは自然消滅することとなったのです😭
 
 
戦後、高田さんはハワイ島のヒロでレイキの施療を行っていました。
 
1976年には高田さんがハワイで本格的に師範(レイキティーチャー)の要請を開始。22名のレイキティーチャーを育てられました。
 
 
そして1980年12月11日、ハワイにて死逝。享年80歳でした。
 
 
【レイキに与えた影響】
 
 
「もし高田さんがいなければレイキ療法は現在こんなにも欧米各国で普及することにはならなかった」と言われるほど、現代に残るレイキに与えた影響は大きいと言われています。
 
それは高田さんがハワイ島でレイキの施療を行い、師範たちを育てたこと。そして次に話すお孫さんのフィリス・レイ・フルモトさんらの活動により「西洋式レイキ」が世界中に広まったこと。
 
これらの流れを受け、日本に逆輸入されたレイキの国内普及へとつながる起点となったのが高田はわよさんなのです✨
 
 
【レイキが今のような扱いなのは】
 
 
ともすればレイキは第二次世界大戦後、ごく限られた人のみが知る秘術のようなものになっていたかもしれません。
 
終戦当時はレイキそのものが怪しいものであるとの意識が広まったり、西洋の科学主義的なものが主流になっていったことも重なって衰退の一途を辿るところだったのです😢
 
戦前の伝統的靈氣は病気治療を目的としていたため、戦後すぐに成立した医師法・薬事法に抵触する形になってしまったのも原因の一つと言えます。
(現在でもレイキヒーリングで治療を謳うことはできません)
 
 
こうした歴史的背景を知ると、レイキへの認識がこれまでとは少し変わっていったのではないでしょうか?
 
「知る」と「知らない」。あるいは「氣付く」「気付かない」。
二つの間では世界観そのものが違ってくるのです😳

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