見出し画像

【レイキの歴史 ②創始者:臼井甕男氏 その1】

前回はレイキの創始者である臼井甕男(うすい みかお)さんが現れる前までの歴史についてお話ししました。

江戸時代以前から行われてきた『手当て療法』が時代とともに西洋学問と交わることで変容していった訳ですね😊

そして今回、いよいよ現代レイキの祖とも言える臼井甕男さんの話をしていきます。

【まずは経歴から】

臼井甕男さんは1856年の岐阜県出身で、その勤勉さから欧米、中国に渡航して各種の学びを深めました。

職業も公務員、会社員、実業家、新聞記者、政治家の秘書、宗教の布教士、刑務所の教戒師などを体験し、幅広い人生経験を積み重ねられました😳

これだけでも臼井さんの多彩さが伝わってきますね☺️

また歴史書や伝記、医学書、仏教経伝、キリスト教伝、心理学等に親しみ、これらの知識や経験が『臼井レイキ療法』を創設する基礎となりました。

【安心立命の境地を求めて】

やがて「人生の目的とは何か」を探求するようになり、

「安心立命を得ることである」

という認識に至ります。これが臼井さんの第一の悟りであると言われています。

安心立命の境地を求め、京都の寺で座禅修行に励んだ臼井さんでしたが、3年間の修行にも関わらず求める境地が得られませんでした😢

思い余った臼井さんは、禅僧である師に尋ねます。

「安心立命の境地に達するには、これからどのように修行すれば良いでしょうか?」

すると師は一言、「一度死んでみることだな」と、事もなげに答えたと言います。

ショックと受けた臼井さんは

「人生の目的である安心立命が得られないのなら、このまま生きていても価値がない。悟りが完成しないのであれば、自分の人生もこれまで」

と覚悟を決め、京都郊外の鞍馬山にて断食を開始したのです😮

ーーーーー

…と、長くなりそうなので今回はここまで。

多彩な知識と才能を持つからこそ人より大きな人生の目的を見出し、それが叶わないのではないかと見えた時の絶望感たるや。

この失意は、自身の存在意義すら見失う底深いものだったのではないかと思います😔

例えば、スポーツ選手が怪我をしてそのスポーツを諦めざるを得なくなったかのような。

密かに恋をしていた相手が既に結婚していたと知った時のような。

そうした、本心では諦め切れない中でも飲み込むしかないではないか、という無念さ。

理想が叶えられないのなら理想に殉じ、その尊さを証明したくなるような危うさ。

それらが入り混じった、鬼気迫るものがあったのではないかと思います。

この後臼井さんがどうなったか。そしてレイキがどう関わってくるのか。
次回をお待ちください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?