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モチベーションなんてない! ~ 用意された「ゲーム」か「自分の目的」か ~
「常識のための人生」ではなく、「自分のための人生」として。
20代中ごろに一度、それまでのモチベーションは死ぬのではないかな。と思います。
それまで、小学校、中学校、高校…と、外的なものによって、僕たちは目標(モチベーション)を持ちます。
それは大抵、「どう見られるか・思われるか」といった、恐れ、焦り、世間体のようなものです。友達や学校の先生からの評価、親からの。
そうして飼い慣らされてきたんですね。チャイムの音で動く、先生に言われてやる、友達にバカにされないように(仲間はずれにならないように)、点数をより稼げるように、という動機です。
でも当然それらは、不自然なもの(本来でない)ですからある時からそのモチベーションは薄れていきます。が、「本当のモチベーション」がどこにあるのか?長いこと教わってない、遠ざかってきてしまったのですから、それを見つけることが今度は難しい、遠い。というのが、人生の最初の折り返し地点で経験することなのだと僕は実体験から感じます。
すでに述べてきた内容の中にヒントがありますが、20代途中までのモチベーションは、「常識」とか「頭」を基準にしたもの、ということになります。
ということは、ここからは、「本心」とか「魂」(心、体…なんと言ってもいい)そういうものを起点としなければ、モチベーション — 行動・努力 — は続かないってこと。考えてみりゃ(感じてみりゃ?)当たり前ですよね。
20代、社会に出たばかりの頃、死んだような大人たちがいることに気づき、「なんだあれは?」と正直なところ感じたのですが、外的な目標に向かって、生命力を吸い取らせ続けると = 本望でないレールの中に生きてしまうと、きっと誰しもがそうなってしまうのでしょう。瞳の輝きを失う。教わったことをただ倣って—マネ—だけして生きていりゃ。
それはだから少年の頃(せいぜい低学年・中学年とか)のような、あるいは青春のようなあの頃の好奇心のあったところに一旦戻って、井戸水を掘るようにして汲み上げて、もう一度湧かせて、繋いであげるってことだと思います。そこまでが最も遠いのかもしれません、長い。宇宙の果てよりこっちの方が。
そうして、今度は、「常識のための人生」ではなく、「自分のための人生」として、「自分の動機」として、シナリオを再び描いていく。ということを、していきませんか?
そんなトラップに気づいたのも、僕も30前後。用意されたゲームの中で人生を終えるなんて、もったいない。どれを選んでも「ニセモノの幸せ」。本当の成長の実感はない。
心からの成長の道を歩みませんか?あなたのために。そう、「モチベーション」なんて言葉に出会う前、不要だった頃のように。
数字を「ゴール↗︎」にせずに、数字が “ 包み込まれる ” プロセスにする。その「全体の流れ ∞」を生きる。
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