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#1 7/10に書いた

突然だが、noteで日記を書いてみる。
どうも。都内の19歳浪人生です。どうもとは言いつつもあまり他人に読まれることは意識しないで書いていこうと思っています。僕がnoteを始める一番の目的は「その時の自分の価値観の保存」です。ここで僕の好きなある曲の歌詞を一部引用したいと思います。

足元に投げ捨てた足掻いた跡も
もがいてる自分も全部僕だから
抱えてる想いをひたすらに叫ぶんだ
その声の先に君がいるんだ

(スキマスイッチ ボクノート)

最近、僕は過ちを犯しました。具体的に言うと、再会した元恋人にうつ病全開で話してしまった。時を戻して今年の4月、彼女(以下「彼女」は再会した元恋人のことを指すこととする)から連絡が来た。僕は中学時代にスマホどころかキッズ携帯すら持っていなかったので、中学は辛かったし今でも連絡をとっている仲間は本当にごく少数だ。だから、勉強して中学の人間が誰も行かないような都立の上位の学校に進学した。よって、中1の時に別れた彼女から連絡がくるなど思いもよらなかった。そして、連絡を受け取ったと同時に、彼女との記憶は僕の中で触れてはいけないものとして封印されていたことに気がついた。彼女と別れた時に負ったトラウマを想起することは何度もあった。自分が今のような状態になってしまったのは、そのトラウマが全ての始まりだと思うからだ。ただ、思い出す時はいつもそのトラウマの部分だけが抽出され、それ以前の彼女と過ごした楽しかった記憶や彼女の人格などは思い出せなくなっていた。というよりも、僕は彼女との思い出を語っていいのかわからなかった。彼女からの連絡は僕に凄まじい衝撃をもたらした。そこから数週間僕は本当に死ぬかと思った。多分、中1で別れた時、彼女との失恋に想いを馳せる間もなく、別の要因で傷を負ってしまったせいで、失恋で苦しむ期間を設けることができなかったのだと思う。あの時の僕はただただ必死だった。携帯を親から与えらなかったことは、都内で中学生活を送る上で本当に致命傷だった。ハブられるのは嫌だった。孤立するのが怖かった。ずっとSNSでは誰かに悪口を言われてるのではないかと、変にいじられてるのではないかと、過剰な自意識に常に苛まれていた。話を戻そう。とにかくそうして、別れた時にきちんと失恋の苦しみを味わなかった僕は、彼女からの連絡をもらった時にその苦しみを味わった。6年越しに、僕を襲ったその苦しみはとんでもなく辛いものだった。おそらく一般的には失恋の直後に来るであろう、「あの時こうしていれば」のような後悔が次々と頭の中に発生した。それに加えて、彼女のSNSアカウントを見て、自分とは違いちゃんと青春を楽しめている様子に、なぜか知らんが妬み嫉みといった感情は湧いて来ることはなく、ただただ「良かった」と安堵した。僕が持っていた最後の彼女についての記憶は、彼女が学校に来る頻度が減り、クラスの行事を休んでしまったという記憶で、その後の彼女の動向を僕は知らなかった。僕はその間どんどんと人との関わり方がわからなくなり、今では精神を病んでいる。(精神病に理解のある親ではなく、メンタルクリニックや心療内科に強い偏見を持つ家族であるので、浪人が始まる前に診察に行きたいといっても止められてしまい、僕が精神病だという正式な根拠はないのだが)
だから、彼女が僕のようにどん詰まりに陥ることなく、元気に今を過ごしていることを知ることができて、ほんとによかった、、、。そんな感じでたくさんの感情に押しつぶされそうになりながらも、僕なりに気持ちを整理していこうと思い、彼女に通っている大学だけ聞いて自分のSNSのアカウントを消し、一度関係を絶ち距離を置こうとした。しかし、どれだけ時間が経っても、暇な時間になると彼女のことを考えてしまう。もう考えるのはやめようと決意を固めても、夢に彼女が出てきて、嬉しいのか苦しいのかよくわからない感情に夢の中で支配され、最低な気分で目覚めを迎える。単なる執着だとわかっているし、未練がましいのは自分でも嫌だ。でもどうしても、気持ちにけりをつけることができない。だから、僕は夏が始まる前に1度会ってみることにした。その結果は、前述の通りで、今は彼女に迷惑をかけて反省している。しかし、後悔はしていない。彼女と直接会うことは、再び僕に衝撃をもたらした。もう思考が散らかり整理ができなくなっていた僕に(この状態をブレインフォグというらしい)、自己の変革を促す意識が湧いてきた。暗い過去とそれによって形成された自己を、乗り越えまた新しく始めようという気持ちになった。ただ、今の表現は少し美化をしすぎたかもしれない。実際は、再会した彼女に対して自分の暗い過去を語りなんのプラスの効果も生産性もない時間を生み出したことで、心から自分のどうしようもなさを受容することができたというのが、文字にしてみて1番近い表現だと思う。
僕は孤立が怖かった。しかし、携帯を持たない僕には自分という人間を相手に知ってもらう機会などなかった。学校の外の時間で深夜までメッセージを送り合う、または通話をしながらバトルロワイヤル形式のシューティングゲームをする、そんな彼らの人間関係に入ることなど無理だった。僕は、僕が悪いやつじゃないことをみんなに知って欲しかった。僕はまともで、話のできる人間だよと伝えたかった。だからいつの間にか、自分を殺し、人に嫌われないようにだけ行動していた。みんなが嫌がる役職を引き受けた。勉強も頑張った。部活も手を抜かず、みんなを鼓舞する役目も担った。プライドなどなく、みんなが俺をいじれるように、ピエロに徹した。

孤立が怖かった。自分の存在意義がないとやってられなかった。
まともな人間でなきゃいけないと思った。誰よりもいい奴でなければいけないと思った。何を言われても、笑いに変え、傷ついていることを隠し続けた。しかし、そんなことをしたから、余計に誰も信じられなくなった。誰とも心を通わすことができなくなった。

けど、彼女と会って自分はどうしようもない人間なのだと、からっぽでクソムシで不幸のカタマリなのだと、いいやつを演じる必要などないのだと、自分を受容することができた。振り返れば、中学時代スマホを持っていないと言っていた知り合いもキッズ携帯は持っていた。何も通信機器を持っていない人間など僕くらいだったであろう。そう考えると、僕が異常なのは仕方のないことだと思える。SNSが普及している世代で、それを持たずに苦しんだ貴重な体験をした存在なのではないかとすら思える。まあとにかく、自分はやばいやつでもいいんだ、自分は誰にも理解されない変態なのだ、まともにいきる必要などないのだ、と思えた。こんな感じで自分を肯定できたことで、前に進む気力が湧いてきた。ただ、今の僕の価値観を風化させるのは嫌だ。僕はこれから、周りの若者のように、SNSのノリに迎合しその場その場の空気を読み、恋愛も積極的にしていく人間になっていくだろう。要は、思春期を抜け出し、社会の制度、雰囲気に染まっていく。
最初に引用した歌詞をみてみる。この歌は、どれだけ下手でどれだけ時間がかかっても自分の想いを自分の言葉で表現することを歌っている。そしてその表現する対象である自分自身というのは何者でなくてもいいんだ、今まで苦悩して自分なりにもがいて、その結果が誰からも評価されないもしくは途中でリタイアしてしまったのでもいいんだ、そんな自分でも信じて、ありのままに表現するんだ。という歌だと僕は受け取っている。‘もがいてる自分も全部僕だから‘この言葉通り、辛いことばかりで傷だらけになり、拗らせて歪んでしまった僕も僕なのだ。
今の僕ははっきりいって、これも極めて思春期っぽく青臭いのだが、世界を憎んでいる。僕は基本的に周りの人間に迷惑がかかるような感情の発散の仕方はしないし、不快に感じる人間にもその人にも何か事情があるのではないかなどと考えてしまう。僕は人に怒ることができない。もし怒ったとしても、感情に支配されている自分を冷笑する自意識が存在して、「ムキになっててダサい」というコメントが自分の中から湧いて出る。この冷笑的な自意識というのも僕の中できちんと向き合うべき対象だと最近認識した。冷笑的というと少しだけ本質とはずれが生じてしまうか、、。ただ昔から(それこそ小3くらいから)僕の中には、そういう自分のことをイタいと思う感覚が存在していた。これの例えで一番しっくりくるのが、大脳辺縁系の働きを抑制する大脳新皮質のような存在だ。本能や感情のままに行動してしまうのは一種の恥ずかしい行為だという感覚がある。母親と兄が激情家なのもあり苦手だ。まあとにかく、それゆえ、怒りやら憎悪やら負の感情は世界とかいう極めて抽象的なものに矛先を向けるしかなくなる。それに実際、ここ数年はタイミングが悪いことの連続で、本当に神様が俺をいじめてるのではないかと思ったのも事実だ。世界に対しての怒りは具体的には以下のような感じだ。まず前提として、SNSの発達したこんな時代に産み落とされたことを憎んでいる。そして、中学生活を耐え高校受験を頑張ったのに、僕の期待していた青春がコロナウイルスという災害に阻止されたことも憎んでいる。さらに、その後も家庭環境がひどく荒れたり色々あって僕は人生に疲れてしまった。こんな理不尽な世界僕は許せない。この激情を発散することなく自分の中で折り合いをつけて、前を向くことなどできない。それをすれば、きっとまたどこかで僕は振り出しに戻る。それに、僕は残しておきたいのだ、きつい思春期をかけて形成されてしまったこの自分を。僕は今では、精神も軟弱で、頭に靄がかかったような状態で、恋愛なんて6年間一切してないし、なんなら女性が苦手なクソムシだ。コンプレックスの集合体だ。でも、この6年間の葛藤と、思考の山、精神を病んだ人間特有の世界の見え方、同世代の価値観から取り残されずっと感じていた疎外感、そういう、クソムシなりに向き合い続け積み上げてきたものを何か形のあるものとして残してやりたい。誰からも理解されず、誰にも観測されない若かった頃の自分の内面を、僕だけは忘れないために、、、表現しなければならない。‘‘もがいてる自分も全部‘’僕なのだから。

ということでnoteで自分の内面、価値観を保存することにした。


ここまでつらつらとnoteを開始するに至った経緯と、僕の精神性をざっくりと紹介してきた。では本格的にこれからどんなnoteを書いていくか、その構想を書いていくことにする。まずは、前述の通り、僕は価値観の保存がしたい。社会に染まる前にこの18年間を総括し、これからの自分の芯、木で言えば幹の部分を作りたい。さらに、今はっと適当な自己表現が浮かんだのだが、僕のこの中高6年間は気の置けない友人を作ることに奔走した6年だとも言える。共に遠出したり、何かに熱中したり、軽口を叩き合ったり、音楽のイベントに行ったり、そんな青春を僕と送ってくれるような、心からの友人を作りたかった。しかし、この欲求はもう賞味期限切れだろう。大学からの友人関係はある程度、それまでの人生で対人経験を積んだ者たちの交流となるであろう。僕は、ある程度背伸びしなければいけなくなるかもしれない、しかし、そんな場合でも、元々の僕がどんな人間であるのか、自分の中でしっかり理解しておけば、うまくいく気がする。自分の主義と反することをしなければならなくなったとしても、根底には中高6年間で人間関係に苦悩し考え続けた僕がいる、、そう思えば僕は怖気付くことなく行動できる気がする。少し脱線したが、とにかく、これまでの自分の価値観を保存するために、自分の人生を振り返っていこうと思う。それが終わったら最大の役目を終えたことになるので、どうするか迷い中だ。日記を継続的に書くかもしれない。受験でいい結果が出たら、それについて書いてもいいかもしれない。まあ、とにかく行き先未定だ。

では、これから僕の今までの人生を時系列で書いていく。楽しかった小学校時代から、トラウマを負いかつ携帯機器を持たなかったことで自分を見失った中学時代、学校も楽しめず家庭も本格的に荒れ、精神をやんでしまった高校時代、それらを語っていく。これは、未来の自分に読んでもらうための文章という意味合いが強いため、怒りとか恨みとか醜い感情もきちんと表現したいと思う。拗れた僕の価値観を残すことに価値がある。次の記事では、幼少期から中学で彼女をふった直後、その後の僕の人生においてトラウマとして残り続ける事象が起きるまでを語っていく。

あとあれだ。僕は本当に辛い時、知恵袋や街録チャンネルなどで他者の苦悩や人生を見ると、少し元気が湧いてくる。自分も頑張って生きよう、なんて気分になる。だから、僕のこのnoteもそういうものの一つの素材になれたらいいなと思う。他者の考えや人生の軌跡から、自分なりに吸収できることもあると思うのだ。携帯機器を持たなかったことで苦しんだ若者なんて今の時代マイナーだし、そもそもそんな人間がいるのかもわからないけど、(もちろん僕の場合だって、それのせいで全てがダメになったのではなく、親やコロナウイルスが影響している部分も多くある)そういう疎外感や孤独を抱えた人たちが僕のnoteを見てくれたら嬉しい。

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